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彼岸花[2025年09月21日(Sun)]

◆稲刈りが進んでいる。
店頭には新米も出始めたが、値段は高い。暴動の起きないのが不思議だ。

DSCN3850.JPG

◆猛暑もものかは、彼岸花が今年も姿を現した。

DSCN3853.JPG

DSCN3852.JPG


律儀な花だといつも思う。


◆花に促されるように墓参りに出かけたら、霊園は大変な渋滞だった。
(最近はスーパーに「お彼岸セット」と称してお供えの果物を詰め合わせたものも並んでいる。こちらも千円近く。総裁選、暑苦しい面相をTV画面に並べるよりも、物価高対策にチャンと切り込まんかい!)




洞口英夫「くるみ」[2025年09月21日(Sun)]

IMG_20250825シラカシ.jpg
シラカシ。くりくりしたドングリをつけていた。

*****

くるみ   洞口英夫


たにまのくるみの
樹の枝が
 川の流れのある方に
  枝を伸していって
    たねを落とすように
人はいつか
 永遠の流れにのびていって命を落す



  『一滴の水滴が小鳥になる』(思潮社、2024年)より

◆境川のサイクリングロードにはクルミ(オニクルミ)の木が何本か成長していたのだが、今年の春先にあらかた伐られてしまった。
だが、またそこここに姿を現している。

◆上流から運ばれてきた実が途中で居着く。だがそれも一時。実はいずれ流れ下る。
個体としては死だが、クルミ族としては命のリレーだ。

だが、上の詩ではそのような継承や再生に関心を向けてはいない。
永遠の流れの方向に自分を放り出す感じがある。

命は「落ちる」とは言わず「(命を)落とす」と言うのは、死が自分でどうこうできることではなく、何ものかが「落とす」力を持っている、と観ぜざるをえないからか。
ならば、人にできることは何だろう。







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