松下育男「まち」[2025年06月29日(Sun)]
◆夜、散歩がてら買い物に出たら三日月がぼうっと霞んでいたが、帰り道には愁眉を開いたようにクッキリと輝いていた。
おとといのMLBの球場の上には爪で空に印を付けたくらいの細い月が、かかっていた。
むろんTVで見たのだが、思えば、地球のどこからであれ、月を眺めて心を慰めうるのは、安穏であるから可能なことだ。
新聞にはアフリカ、コンゴの避難民の記事が載っていた。
つかの間でも良い、同じ月を目にしている人に医と食と安らぎを。
☽ ◆ ☽ ◇ ☽ ◆
まち 松下育男
ぼくはものをみすぎたかもしれない
めのなかにふうけいがたまって いたい
めぐすりをさして
わすれさるにも
わすれたあとの 町が
ぼくのなかに いくつものこっている
それはとうにわすれさった町だから
その町のなかでどんなことがおきようと
ぼくはきづかない
その町でどんなひとがはなしをしていようと
ぼくにはきこえない
ただ
むしょうにさびしい空に
たかい鐘がなる
そんなひびきあいをしている日がある
めのまえのみあきた空と
ぼくのなかの
とうにわすれさった町にひろがる
今でもまっさおな
空とが……
ときどきむねがいたむのは
きっと
その町でもめごとがあって
いく人かの死体が
ぼくのかべに
たおれかかったのだ
いつの日か
その町のひとびととの とおい
いさかいがあって
ぼくはうちがわから
ころされるかもしれない
現代詩文庫『松下育男詩集』(思潮社、2019年)より
◆「うちがわから/ころされる」とは、「とうにわすれさった町」での「とおい/いさかい」が、自分に忘れてしまうことを決して許さないからだろう。
あるいは、起きたばかりのもめ事ですら過去から継起したものであって、もう関係ないと割り切ることを許すはずがないからかも知れない。
そもそも、「わすれさった」ということば自体、記憶の底にうずくものが存在することを物語っている。
ならば、自分自身の無意識に罰せられることすらあるわけだ。
◆月を眺めていることは、そんなことまで思わせる。
訪れたことのない遠い大陸が不意に父祖の地に思えてくる。



