
池井昌樹「心」[2025年03月17日(Mon)]
境川沿いの早咲き桜。
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心 池井昌樹
このかたい
線でできているこの文字も
このやわらかい
線でできてるこの文字も
いつかはいなくなるんだなあ
ぼくのなかから
そうしてぼくも
いつかはいなくなるんだなあ
このかたい
線でできてるこの文字が
しるしつづけたあなたやわたし
このかたい文字やわらかい文字
いりまじりあいことほぎあって
おりなしてきたなにもかも
いつかはきえてなくなるんだなあ
いつものようにそうおもいながら
あなたやわたしやそらやうみ
しるしつづけているそのうちに
あやしうこそものぐるほしけれ
ことばにならないいつかのだれか
それよりもっとうんとむかしの
かずかぎりないおおぜいの
ことばにさせたいゆめのおもいが
うなされるよううなずくよう
ぼくのおくからうんうんと
うんうんとおしよせてきて
たちこめてきて
どこなのだろう
ここはいったい
はれわたる
なぎわたる
そらとうみ
かがみみたいなそのまんなかに
どこのだれよりとおいだれかが
てもちぶさたにそらをみあげる
どこよりとおくふるくてちかい
なつかしいのにあたらしい
こんなところでひざかかえ
どこのこだろう
ぽつんとひとり
ぼくのこころが
ああそらを
そらをみあげる
『現代詩手帖』(思潮社、2025年1月号、特集〈現代日本詩集2025〉)より
◆紙に書きつけた「かたい」/「やわらかい」文字――漢字だったり、ひらがなだったり、――角張った外国語のゴシック文字だったり、くねくねしたアラビア文字でもよい――普通、それらは「ことば」を表していると了解されている。
◆詩人はさらに一歩だけ進めて、それは「心」なのだと言う。
(文字を「情報」だと思っている人には、詩人はほとんど別世界の生き物に思えるかもしれないが。)
「心」が生きている者に与えられている以上、それはいずれ無くなる。そのことを生き始めのころからずっと感じていて、だからこそ、そらやうみ(=この世界すべてだ)やわたしやあなた(=この世界に生きているかけがえのない人&人々)を「心」でとらえ、文字にしてしる(記・印・誌・識etc.)さないではいられない。