
石川逸子「大津島」:「回天」の島[2025年03月16日(Sun)]
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大津島 石川逸子
3月さくら咲く大津島
丘の上に置かれた鋼鉄の魚のなかに入りました
全長14・75メートル
胴直径わずかに1メートル
真ん中に開いた円形の入口の蓋を
同行の水上さんに閉めてもらうと
まっくら
真の闇
どうあがこうともう自分からは抜け出せない
両脚を前に出して坐ります
発射される
きこえてくるのは
荒いさびしい波の音
闇のなかにありありと見えてくるのは
あと何秒後のいのちの終わり
魚の突端の1・5トンの芍薬(さくやく)もろとも
粉々に千切れ飛ぶ いのち
「海は静か これが決戦の最中だろうかと心を疑わせます」
と友への手紙に書いた 19歳の小森一之
「母よ、ああお母ちゃん、光雄は護国の鬼となり
母さんに面会に家に帰りますと、特眼鏡に映じた地平線に祈りたり」
はたち、沖縄の海に散らばった松田光雄
「8月11日、1730、敵発見、輸送船団なる、我落ち付きて体当たりを敢行せん。
只天皇陛下万歳を叫んで突入あるのみ、さらば、神州の曙よ、きたれ」
8月11日朝 下ろされた人間魚雷に
乗りこんでいった 佐野元
彼は 18歳
その死の4日後に 日本は無条件降伏します
それから38年経って 天皇は天皇のまま
元気です
3月さくら咲く大津島
人間魚雷 「回天」のどてっ腹の闇のなかで
ふるえながら
海の音を聞いています。
『もっと生きていたかった――風の伝言』(一葉社、2021年)より
※大津島(おおづしま)は山口県周南市、沖合にある島。戦時中、人間魚雷「回天」の基地があった。現在は回天記念館がある。
※魚雷から発想された「回天」は、特攻兵器として開発され、たとい体当たりに失敗しても脱出装置はなく、回収や乗員の救出は想定されていなかった。
◆特攻兵器を着想する人間の心と原水爆を開発する人間の心とに違いはないように見える。どちらも相手に甚大な被害を与えることを目的とする点では。
「大量破壊兵器」には核兵器や生物化学兵器も含むだろうけれど、この言い方には、意図的に人間くささを消滅させた感じがある。
それに対して、生身の人間が乗り込んで自ら兵器の一部となる回天には人間くささがつきまとう。
その胴体に入ってみたのは、その人間くささと、人間自身を兵器に組み込む発想とのギャップをどうにかしたい気持ちもあってのことではなかろうか?
◆兵士たちが遺した遺書や手紙は、たとい紋切り型の忠君報国の文章であれ、そこに断念や葛藤を想像しないではいられない。一つ一つに、それを遺した若者たちの名前があるからだ。
だが、「回天」の必要とその実戦投入を認めた最終責任者の目には彼らの名前など意味は無かっただろう。
さて、「回天」の闇の中に大元帥陛下が身を投じたことは果たしてあっただろうか?