
エディット・マティスさん逝く[2025年03月15日(Sat)]
カンザキハナナ(寒咲き花菜)。開花前のつぼみを食するもののよう。
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◆ソプラノのエディット・マティスが亡くなったことを不覚にも知らずにいた。
先月2月9日の由。
今日の朝刊の地方欄に、地元のレストランで定期的に開かれている「鵠沼サロンコンサート」が35周年を迎えるという記事が載った。これまで出演した顔ぶれの中に、彼女の名前もあった。ただし「故」の一字が付いて。
ここで彼女を聴いたのは2000年のことで、このコンサートへの出演は4度目だった。その翌年には引退を表明したので、藤沢のファンにとっては最後の機会となったわけである。
会場にはヴィデオカメラを手にした夫君の姿もあった。
◆その名を知ったのは、1973年だったろう。「FMfan」という雑誌の記事で、モーツァルトの「フィガロの結婚」というオペラの題名とともに胸に刻まれたが、まさか直接その歌声を耳にする日が来ようとは思いもしなかった。
その時からさらに四半世紀。
歌う姿は今も目に焼き付いているが、その歌声は、あの時も今も、頭上はるか彼方の宙(そら)で響いているように思って来た。
◆このところカール・リヒターによるJ.S.バッハのカンタータのいくつかを聴いていた。そのソプラノの清らかな歌声に驚いてライナーノートを見たら、彼女が歌っているのだった。
(イヤホンで聴いているので、脳内に在って直に語りかけるように歌っているように感じる。)
大変な贈り物をこんなにたくさん遺してくれていたことに今ごろ気づくとは。