黒田三郎「時代の囚人 U」[2024年11月18日(Mon)]
時代の囚人 黒田三郎
U
たったひとつのビイ玉でさえも
それが失われたとき
胸には大きな穴があいている
ああ
忘れた頃になって
ビイ玉は出てくる
ほこりのたまった戸棚の裏から
出てくるものは
それは
ひとつのビイ玉にすぎぬ
涙ぐんで
ときには涙ぐみもしないで
胸にあいた大きな穴をふさぐには
あまりにもありふれた
あまりにも変わりのない
ひとつのビイ玉を
掌にのせて
青く暮れてゆく並木の下で
どぶ臭い敷石の上で
ぼんやり立っていたことが
あったかなかったか
現代詩文庫『黒田三郎詩集』(思潮社、1968年)より
◆兵庫県知事選の結果が出てからTVが取り上げ始めた百条委員会のメンバーの辞任、N党党首による同委員会の委員長自宅前での「演説」を騙った威嚇や脅迫(委員長の記者会見で明らかになった)、未だあった――対立候補に関するデマの拡散。
それらが選挙期間中に行われたために、報道は「中立公平」であるべし、という縛りによって取り上げることができなかった、というメディア側の事後の言い訳。
起きていることの意味が分からないという弁解がどうして通用するのか。
ならば、この先だって意味が分からぬまま、「画になる」横紙破りの言説を垂れ流し続けるだろう。それはポピュリズムへの加担にほかならない。
◆アメリカであれ、ロシアであれ、イスラエルであれ、同じ事だ。強権を振るう者のどんなに非道な発言も、それを繰り返して拡散する協力者が居れば、力づくで制圧しなくとも正義は死に、民主主義者は「胸にあいた大きな穴」を抱えて死者同然になる。
その穴をビイ玉でふさいだところで、スースー息が抜けてゆくだけの肺腑から、意味のある言葉が発せられることはない。
もはや「新しい戦前」ではなく、再び・三度(たび)の「戦時下」、と言う方がふさわしい。