黒田三郎「時代の囚人」T[2024年11月17日(Sun)]
メドーセージ(サルビア・ガラニチカ)。
ずいぶん長いこと咲いている。
鮮やかな青が、空模様と関係なしに目に付く。
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時代の囚人 黒田三郎
T
言論の自由と
行為の自由とを
奪われた囚人は何を持っているか
わずかにとひとは言う
窓に切り取られた天の一角と
回想と
夢みることと
そこで何が起こったか誰が知ろう
刑務所の門で
見覚えのある帽子や着物とともに
彼等の久しく奪われたものを
取りかえす
有頂天
ああ 有頂天のなかに
回想を通じて夢みられた未来への解放
彼等の忘れて行ったものに誰が気がつくか
そして幻滅
現代詩文庫『黒田三郎詩集』(思潮社、1968年)より
◆TV画面に映し出された、体の震えが止まらない子どもの姿に言葉を失う者でさえ、我が身が震えるまでには至らぬだろう。
同じ空気を吸っているわけではないゆえに。
◆同じように、牢獄の中に囚われた人がわずかに持つ「窓に切り取られた天の一角と/回想と夢みることと」を、詩の中に読んだ者が真に想像することは難しい。読む者は牢獄の外どころか、蛇口をひねれば水が、自動ドアを入れば暖めた弁当が手に入り、それらを飲み食いできるところにいるからだ。
◆ひとつは空間において、もうひとつは時間において隔絶しているわけだ。
そのままに捨てて置く訳にはいかないと誰しも思う。だが、彼等が奪われたものを、帽子や着物のように取り返すことなど、もはやできない、ということも分かっている。
その苦悶に耐えるだけの強さがあれば――………。