高村光太郎「少年に与ふ」[2024年11月09日(Sat)]
◆「持って生まれたものを深く探って強く引き出す人になる」――先日の小田桐孫一先生の送る言葉の中でも話されていた。
★小田桐孫一「螢雪の辞」(続き)[11月7日記事]
⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/3220
そこでも注記したように、これは高村光太郎の「少年に与ふ」という詩の一節である。
団塊の世代が中学生の頃(昭和30~40年代)に教科書で出会った詩を集めた鹿島茂『あの頃、あの詩を』(文春新書、2007年)にも、その全体が収められている。
少年に与ふ 高村光太郎
この小父さんはぶきようで
少年の声いろがまづいから、
うまい文句やかはゆい唄で
みんなをうれしがらせるわけにゆかない。
そこでお説教を一つやると為(し)よう。
みんな集ってほん気できけよ。
まづ第一に毎朝起きたら
あの高い天を見たまへ。
お天気なら太陽、雨なら雲のゐる処だ。
あそこがみんなの命のもとだ。
いつでもみんなを見てゐてくれるお先祖さまだ。
あの天のやうに行動する、
これがそもそも第一課だ。
えらい人や名高い人にならうとは決してするな。
持つて生まれたものを深くさぐって強く引き出す人になるんだ。
天からうけたものを天にむくいる人になるんだ。
それが自然と此の世の役に立つ。
窓の前のバラの新芽を吹いてる風が、
ほら、小父さんの言ふ通りだといってゐる。
◆この詩全体を朗読された時もあったが、特に「えらい人や名高い人にならうとは決してするな。
/持つて生まれたものを深くさぐって強く引き出す人になるんだ」の二行は対句を用いていることもあって、声に出して読まれることによって身の内にしみ通る力を持った。
始業式や終業式など折に触れ我々の頭の上から恩師のことばは注がれた。同期の仲間たちは今でも声をそろえてこれを口にする。生きる上でこれが血肉化されて来た証である。
今どきの「自分探し」という曖昧さとは違う。ぬかるみに足が取られても、沈潜から抜け出して遠く彼方へと顔を上げることができる、その力が必ずある――そう思わせることばが、活字でなく生きた言葉として語られたからこそ、今も我々の内に反響しているのである。