• もっと見る
« 2024年10月 | Main | 2024年12月 »
<< 2024年11月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
小田桐孫一「螢雪の辞」(結び)肉声が聞こえて来る[2024年11月07日(Thu)]

小田桐孫一「螢雪の辞 その二」の続きから最後までを――。

 もうそろそろ、チップス先生にさようならをいうべき時がやってきたようである。しかし、チップスが最後の瞬間において楽しげにいった言葉だけは絶対にいい忘れてはならないと思う。チップスはこう言った。
「わしに子供があったかというのか?……あったさ、何千人も、何千人もなぁ。」すると、その何千人もの子供たちの大合唱(コーラス)が、これまで聞いたことのない壮大さと美しさと暖かい慰めをもってフィナーレのハーモニーをうたい上げるのであった。……ペティファ、ポーレット、ポースン、ポッツ、プルマン、パーヴィス、ピム・ウィルスン、ラドレット、ラプスン、リード、リーパー、レディ第一……さあ、みんなわしの周囲に集まりたまえ、お別かれの言葉と洒落をやってあげよう。……ハーパー、ヘイズリット、ハッフィールド、ヘザリ……これがわしの最後の洒落さ。……わかったかな? 可笑しかったかな? ボーン、ボストン、ボヴィ、ブラッドフォド、ブラッドリ、ブラモール・アンダスン*……君たち、今どこにいようと、何事があっても、この瞬間、みんなわしのところに集まって来てくれたまえ。……この最後の瞬間。……わが子供たちよ。
 チップスは彼の最後の瞬間においてこういう状態にあった。私は今この別かれの瞬間において同じ状態にある。
 私にも何千人もの子供たちがあった。今「その何千人もの子供たちの大合唱(コーラス)がこれまで聞いたことのない壮大さと美しさと暖かい慰めをもって」聞こえてくるような気がする。その大合唱(コーラス)隊の中に諸君ひとりひとりの顔が見える。しかも諸君は今、私と一緒にこの学び舎を立ち去ろうとしている。諸君はこれからヘラクレィトスのいわゆる「上の道」*を辿ることになり、私は「下への道」*を辿ることになるとしても、私どもはいわば同期生なのだ。だから、私はことにたぎり立つ思いを籠めて、諸君に呼びかけたいのだ。諸君に呼びかけることは、またわが母校の八十九年の歴史に呼びかけることになるのだ。
 教え子たちよ、人生の旅人たちよ、旅支度せよ。
 十分に翼を張り、どんな風圧にも耐えられるよう翼の付け根を固めよ。
 俗物の教養がどのように世にはびころうとも、諸君ひとりひとり、「一隅を照らさんとする」高き志を立てて、思う存分羽搏くがいい。
 私は別かれの袖の重き心を抑えながらそこまで見送ろう、諸君ひとりひとりの後ろ影の消えるまで。そしてやがて、踵を返して、私自身、飄として浮雲の若(ごと)くに、この門から立ち去るであろう。そして、晩年のチップスのあとをなおも尋ね行くであろう。
 鏡ケ丘の子供たちよ、さようなら。


小田桐孫一「螢雪の辞 その二」『鶏肋抄』p.274〜275)

ペティファ、ポーレット……
子供たちの名前を、P〜の字の付くものから、Rのシリーズへと、さらにはHのシリーズからBの付く名前へと、ラテン語の詩でも読むように読み上げていくチップス。ユーモアと子供たちへの愛情とが相和して、子供たちの大合唱に包まれながら、チップスが天に召される場面である。

ヘラクレィトスの「上の道」と「下の道」……その生涯において哲学の人であった先生らしく、古代ギリシアの哲学者ヘラクレィトスの箴言をふまえて語られた。「上り道」と「下り道」は、上って行く者が見るか、下って行く者が見るか、という視点や位置の違いに過ぎず、どちらも同じ一本の道を歩んでいるのだ、という含意であろう。


◆「一緒に学び舎を立ち去ろうとしている」という言葉が示す通り、還暦を迎えた孫一先生はこの1972年の3月をもって退職されることになっていた。それが「私どもはいわば同期生なのだ」という表現にまでなる。愛情の紐帯を覚えないわけにはいかない。

◆母校のサイト、同窓会のところに小田桐孫一先生の簡単な紹介が記されており、先年録音が発見されたこの1972年3月のスピーチを聞くことが出来る(!)
*下のURLをクリックし、青字のリンクにアクセスしてみてほしい。

思いのほか若々しい声であることに驚く。朗々たる声は、深い皺の刻まれた顔と一体のもので、そこに、足かけ五年におよぶ旧ソ連(カザフスタンのカラガンダ)での抑留生活を想像してみても、平和な時代しか知らない我々のなまくら頭に何が理解できたというものでは全く無いのだけれど。

声を聴くと50年余の時間をたちまち飛んで、ステージから我々を見つめる師の姿を眼前に見る思いがする。
やや斜めに構え、腰に手を当てた姿で、一人一人に今も語りかけてくる。

小田桐孫一先生の思想
https://www.hirosaki-h.asn.ed.jp/main/dousokai/odg_thought.pdf
★上のページに埋め込まれたリンクのうち、
弘前高等学校 昭和46年度卒業式 (昭和47年3月)
をクリックすると、録音を聞くことが出来る。
https://www.hirosaki-h.asn.ed.jp/main/dousokai/odg_data/2_1.mp3


★母校・弘前高校のトップページにある「同窓会」のリンクからは高橋信進(のぶゆき)氏による小田桐孫一略伝のほか、その思想(1〜3)についての論考を読むことが出来る。貴重な御仕事に感謝したい。



小田桐孫一「螢雪の辞」(続き)[2024年11月07日(Thu)]

小田桐孫一「螢雪の辞 その二」より、前回に続く段落を――。

 それゆえに私は、この別かれの瞬間において、新しく巣立ち行くわが教え子たちに対して、この「最後の授業」において、諸君に心から「一隅を照らさんとする」決意と勇気を期待したいのである。その時代に欠けていて、それゆえに人の心が曇るものあらば、それを新しくクリエートするエネルギーをもって生み出すことこそ次代を担う者の使命であり、第一義の道だと考えるからである。諸君がそれぞれの「持って生まれたものを深く探って強く引き出す人になる」**プロセスにおいて、自分の痛さと人の痛さを結びつけ、自分のいのちと人のいのちを結びつけ、自分の幸福と人の幸福を結びつけようとする人類相互愛憐の心を惜しみなく発揮してほしい、と私はひたすらに願う、みんなが幸福になる日のために、そしてあわれなチップス先生の供養のために。

小田桐孫一「螢雪の辞 その二」『鶏肋抄』p.273〜274)より

「最後の授業」…フランスの作家、ドーデーの短編集『月曜物語』の冒頭の作品。アルザスの少年フランツとアメル先生の「最後の授業」。小田桐先生は卒業式直前の2月にこの話をしている。その折に、「人間疎外」について話してもいた。当節は余り流行らなくなった哲学用語であるようだが、我々の高校時代には「倫理社会」という科目があり、そこにおいて「実存主義」とともに魔法のように惹きつけることば、それが「人間疎外」だった。ここには未だ他者へのまなざしがあった。この言葉に一瞥もくれなくなったことと、個という内側に埋没して行く風潮とは期を同じくしていたように思う。
なお、「最後の授業」はかつて国語や英語の教科書によく載っていた物語だが、母国語喪失を通して祖国愛を描いたという伝統的な解釈が、田中克彦の問題点指摘で大きく見直されることとなった。田中氏の説を研修で直接聞く機会にも恵まれたのだが、ここでは取り上げる余裕がない。

**「持って生まれたものを深く探って強く引き出す人になる」…高村光太郎の「少年に与う」という詩の一節。小田桐孫一先生は、この言葉を折に触れて口にし、文章としても遺した。「人間として」生きるしるべに、と心にはたらくこの言葉は、いま母校の「目指す人間像」として掲げられている。

◆「チップス先生」の物語を軸に、折々の講話で触れた章句を添え加えることで、我々に高校三年間を思い起こさせる話の進め方になっている。ベートーヴェンの「第九」の構造(作曲者自身の過去の作品の引用を連ねながら、第四楽章、バスによる「おお友よ、このような音ではない!もっと心地よい、もっと喜びに満ちあふれた歌を歌おうではないか」の詠唱、そして歓喜の歌の、滔滔たる合唱になってゆく、あの流れに通うものを感じる。
「自分」と「人」=自己と「他者」を結びつけようと呼びかけるのまた同じ心から湧き出ているのだろう。



| 次へ
検索
検索語句
最新コメント
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml