小田桐孫一「螢雪の辞」(承前)[2024年11月05日(Tue)]
◆小田桐孫一「螢雪の辞 その二」より チップス先生(承前)
同じく1972年3月の卒業式における送別のことばから、前回の続きを――
最澄逝いてここに一一五〇年、その間人智は絶えず進歩しつづけ、なかんずくわれわれは現在、物質文明の飛躍的な繁栄のさなかにある。泰平と豊饒――現代人はその湯舟の中にひたりながらこの文明の仇花に酔い痴れている。そのかたわらで、物質が暴れ出し、機械が暴れ出し、機械的人間が暴れ出して、現代社会は洋の東西を問わずそのコントロールの方法をつかみかねている。そして、この文明の進行につれて、現代社会はものすごいスピードでチップスが歎いたような、「金力と機械に基礎を置いた俗物の教養を生産する工場」に変質しつつある。そしてその中で生産された俗物の教養がわれわれをややもすれば自由の名のもとに理屈をこねさせ、平等の名のもとに自己主張にのみ熱中させ、人の痛さをわが痛さとする惻隠の心を奪いとっている。その結果、一隅を曇らさんとする徒輩のみ、いたずらに幾何級数的にふえつつある今の世のさまである。
小田桐孫一「螢雪の辞 その二」(『鶏肋抄』p.273)より
◆最澄(767-827)とヒルトン(1900−1954)が造型したチップス先生(小説「チップス先生さようなら」は1933年の連載スタート)とが1100年余の時を超えて結びつけられる。
巨大なユーラシア大陸を挟んで東西の洋上に浮かぶ二つの島国の人間が一本の糸でつながる、と言い換えても良い。
それを可能にするのは、一個の人間として思索し思い描く未来を、若きらに託そうと願う一教師の志である。
経済成長がもたらした豊かさに満足せず、文明の現状を憂える口調であるのは、ほのかに光る未来を曇らすものの正体を、その目で見定めようとされていためであろう。
我々の高校生活最後の年、先生は8組あった3年生の各クラスを、自習時間が生じた機会に訪れて、講話をしてくれた。
目を悪くしていて、と断った上で、目をつむりながら1コマ65分、語り続けた。
過去を顧みるにせよ、はるか未来を見やるにせよ、心の眼で見ない限り、どんな像も結ばないものだ、ということが、師の没年に届く歳になって少しは分かった気がしているのだけれど。