小田桐孫一「螢雪の辞」より チップス先生と「一隅を照らす」[2024年11月04日(Mon)]
◆1972年3月の卒業式で小田桐孫一先生が我々に語った送別の言葉を引こう。チップス先生の一代記をかいつまんで話し、しかる後、次のように話された――
新卒業生諸君。
私は今このチップスのあとをふりかえってみながら、諸君になにを語ろうとしているのか。それは、諸君にチップスと同じ職業をすすめようとしているのではない。ただ、諸君が将来いかなる職業につこうとも、チップスの心をもって世に処していってほしいと願うのである。
この一代記をみれば、なるほど作者のヒルトンがいうとおり、「チップス先生は立派ではあるが、格別優秀というほどの人物ではなかった」ということがよくわかる。彼は大学者でもなければ、大教育者でもなく、また手腕家でもなかった。彼は漱石のいった意味において、「唯の人」にすぎなかったのである。そしてその「唯の人」がただただ「一隅を照らした」までである。
かつて比叡山の開祖最澄が彼の門に馳せ参じた若い修道者たちにむかって「径寸*十枚、これ国宝にあらず、一隅を照らす、これ則ち国宝なり」――金はいくらあっても国の宝ということはできない、一隅を照らすような人こそ国の宝である、と厳しく教え諭したことがあった。』チップスは彼の持って生まれたものと生まれたあとで彼の身につけたものを傾けて、自分の幸福と生徒の幸福を結びつけながら五十年近い教師生活を生きつづけた。そしてその結果、この住みにくい「人の世を長閑にし、人の心を豊かにする」という、人間としてもっとも大事な仕事をなし得た。まさに「一隅を照らした」のである。かかる「唯の人」のかかる唯ならぬ人の生き方に接するとき、私は「人間! すばらしいなぁ! えらそうな響きがするなぁ!」というあるドラマの一齣を思い起こすのである。「誰人天下賢」*。天下の賢の道はここにこそあると私は考える。
今やわれわれは、「チップスは立派ではあるが、格別優秀というほどの人物ではなかった」と言うべきではないと思う。逆に「チップスは格別優秀というほどの人物ではなかったが、立派であった」と言い直すべきときだと思う。この平平凡凡たる一教師は「一隅を照らす」ことによって永遠の教師像として、ひいては永遠の人間像として我々の師表となり、また最澄のいった意味において「国宝」たるの資格を克ち得たということができる。
小田桐孫一『鶏肋抄』(1972年10月発行)、「螢雪の辞(その二)」より
*径寸…直径一寸の宝玉「径寸〜一隅を照らす、これ則ち国宝なり」は最澄の「山家学生(がくしょう)式」にあることば。
*「誰人天下賢」……陸羯南のことば。以下の拙記事参照
2017年5月14日〈正岡子規と陸羯南〉⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/499
【小田桐孫一(石心)先生の墨跡】1972年春の卒業式終了後、揮毫していただいたもの。