マティ・ステパネク「ほんとうの意味」[2024年10月15日(Tue)]
ネズミモチ。実はもう少ししたら深い黒のつぶつぶになる。
*******
ほんとうの意味 マティ・ステパネク
廣瀬裕子[訳]
目はものを見るためにある。
だけど、とてもうれしいとき
とてもかなしいとき
泣くためにもある。
耳は聞くためにある。
だけど、こころでだって
聞くことはできる。
鼻はおいしい食べもののかおりを
かぐことができる。
風や草や
ちょっとがんばれば
チョウチョのかおりだってかげる。
手は感じるためにある。
だきしめたり、そっとふれたり。
口と舌は味を知るためにある。
言葉をささやくためにもある。
たとえば、「とてもすき」とか
「神さま、ありがとう」とか
そんなふうにね。
Apr.1995
『すてきなすてきな世界のため ハートソング2』(PHP研究所、2002年)より
◆こんな風に自分の身体を愛おしむことができるのは、それらを持つ自分が家族からどんなに愛されているか、知っているからだろう。
そうして、そのことを、ことばと身体全体で伝えられて来たからだろう。
そのように愛された者は、存在することの深い意味を、身体とこころの全体で受けとめている。
神さまという、目に見えないものに心が開かれているのも、それゆえだろう。