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韓永男「絶対孤独」[2024年10月09日(Wed)]

『韓永男(ハンヨンナム)詩集』からもう一篇――


絶対孤独   韓永男


行く途中で出会った
岩一つ

億劫をああやって隠していたんだろう

肩に落ちた空だけでも
重ねて三千尺 ぐらい

億劫でああやって無口でいたんだろう

森羅と万象の音を
飲み干してもなおひもじい

生きていて出会った
一つ岩



柳春玉/南鉄心/林施ホ・訳
『韓永男詩集』(土曜美術社出版販売、2024年)


「劫」は、もともと仏教で長い時間を指す語だ。
さる所に百何十里四方という大きな岩があって、そこに天女が百年(20年とか三千年とか諸説ある)に一度舞い降り、羽衣で岩を一撫でする、それを繰り返して岩がすり減ってなくなる、その長さが「一劫」だという。「億劫」はその億倍、というわけだから、気の遠くなるような長い長い時間ということになる。
(落語『寿限無』の始めの方にある「五劫の擦り切れ」はそれよりも短いから、我が子の長命を願う親としては、まだ控え目な命名というべきかも知れない。)

さて、その膨大な長さの「億劫」を思えば、やる気が起きない状態になってもやむをえない。
この詩の岩も、やる気なさを全身に表して寝そべっているように見えるのだが、詩の主人公は、この岩に不思議な感情移入をする。
岩が隠している膨大な長さの時間、上にのしかかっている空、そうして、この世界に殷殷と響いて来たあらゆる音――それらすべてを飲み干し、一身に引き受けていながら(あるいは、それゆえにこそ)、孤独から逃れようのない定めの「岩」。

「岩」を対象物として見るのではなく、「岩」の身になって、そこから世界を見ているのだ。




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