根来眞知子「角を曲がる」[2024年10月01日(Tue)]
角を曲がる 根来眞知子
二十歳の角を曲がった
先の見えない長い長い道があった
白いドレスを着て華やかに花を抱き
道をそれていく人が疎ましかった
三十歳の角を曲がった
仮定の圧力に押しつぶされただ忙しく
流されていく不安がいっぱいだった
四十歳の角を曲がった
渾沌として少しずつ固まり始めた渦の中にいた
流れに逆らわないのも楽なのかと思いだした
五十歳の角を曲がった
目がかすみ耳が遠くなっていくのがわかった
いつまでもあると思うな命と意欲と知った
六十歳の角を曲がった
得なかったこと 捨てたもの
いろいろあったけどどもういいか
自分の意志のみで生きているんじゃないんだと悟った
七十歳の角を曲がった
周りの景色がいとおしくなりだした
あるべき様にある物たちと共にあろう
と思うようになった
今 耳元を
音を立てて時が過ぎてゆく
『雨を見ている』(澪標、2019年)より
◆「角」は曲がるしかないのか?
曲がった先に何があるかは誰にも分からない。
しばしば立ち尽くすことがあって当たり前だ。
ならば、引き返したらどんなものだろう。
もしかして、成熟とか、大人らしい分別とか無縁な生き方だってあるんじゃないか。
そうした、誰も答えてくれなそうな疑問や遅疑逡巡で頭をいっぱいにしている間は、周りの景色も見えていなかったのだろう。
◆節目節目で思ったことは、その曲がり角にさしかかったから初めて分かったのであって、して見れば年を取るというのも悪くはない。
何より、自分より大きく永い時間を生きているものたちがこの世界のあちこちに在ると気づいたのは、少しずつ曲がり角を通って来たからであって、もし最初から何もかも見通せていたとするなら、怖じ気づいて気が変になるか、圧倒され腑抜けになっていたか、どちらかだろう。