文月悠光「誘蛾灯」[2024年09月13日(Fri)]
誘蛾灯 文月悠光
薬局の前で力尽きていた蟬に
マスク姿のまま足を止める
自動ドアから漏れる かすかな冷気。
ビニールカーテンの波打つ光に
遠い春の緊急を思い出してしまいそう。
「誘蛾灯」が虫を殺す装置だなんて知りませんでした。だって灯りは、祝祭の証ですから。オリンピックの聖火とかフェスとかお盆とか、人は何かのしるしのように火を灯すものでしょう。
わたしたちがよく冷えたアイスコーヒーをテイクアウトするとき、コンビニの軒先で、バチバチと弾けたあの火花の音は? 羽をたずさえる彼らにも自由はゆるされない。そう知って世界がさらに恐ろしくなった。
ミュート解除、お願いできますか。
冷たくなった蟬のお腹からはもう
どのような宣言も聞こえてはこない。
ワイヤレスイヤホンの白いねじを
身体の部品のように抜き取れば、
鈴虫の鳴き交かす唄声によって
夏はもうすぐ解除されます。
顔色が悪いと叱責される事態宣言。
ファンデーションで肌を窒息させて
はじめて呼吸がゆるされる事態宣言。
光はまだ私を照らしているか?
この世界に影を刻印しているか?
街灯の橙色に誘い出されて
わたしはうっとりと歩きだす。
紙コップのコーヒーは強く握ると
こぼれそうで ただ指先を温めていた。
文月悠光(ふづきゆみ)『パラレルワールドのようなもの』(思潮社、2022年)より
◆コロナ禍であれ、原発事故であれ、過ぎたようで、実は終わったどころか、まだまだ長い長い過程のほんの数節を過ぎたばかりで、しかも向かう先が明るく開けているとは思えない、と言う人もいる。下りがあればいつかは上りに向かう、と信じる根拠などどこにもないのだと言われれば、その通りかも、とうなだれてしまう。
何より、あの誘蛾灯だ。
安穏は誰かの犠牲の上に辛うじて成立している(かのように見えている)のに違いない。