山田隆昭「雨のように」[2024年08月31日(Sat)]
ナンキンハゼ。
7月半ばに1キロほど下流の山裾で見たのより大きくはなったが、未だ硬そうな青い実。
葉裏を見せたりして雨風になぶられた跡がまざまざと。
どしゃぶり、晴れ間、雷鳴とあわただしく翻弄される一日。セミも啼くのを諦めたような。
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雨のように 山田隆昭
電線が揺れている かすかに
雨に打たれている
水滴が膨らみ並んでいる
落ちる直前の張力は美しく
天と地の間で延び縮みしている
落ちれば曲線を失って
個から解放される きっと
水溜まりからどこへゆくのか
地中深く潜る あるいは
より元素に近づいて空に向かう
どちらにしても
還る ことにはならないだろう
納まるべき場所を持たず
いつまでも放浪する
水は哀しいもの
うらやむべきもの
枯れ草の匂い 埃の臭い
雨が連れてくるそれらに包まれて
ぼくらは天に昇るか 地に伏すか
どのみち ここ を持てないでいる
今日 ぼくは昇天する
最後に見る風景を忘れはしない
ふるふると揺れて
美しく見えるか
この体 このたましい
そのときがきて
なにを連れてゆけるだろう
懐かしい日向の匂い
小川の流れになびく藻の動き
踏みしめる草の音
みんなそのままで在り続ける
万物を受け入れ そののち
見送る者もやがて
どこかへ去ってゆく
どこへ か 誰も知らない
知ることで崩れてしまう世界がある
だまって
順序よく落ちてゆく雫のように
淋しく降りそそぐ雨のように
ただ
『詩集 伝令』(砂子屋書房、2019年)より
弔う八月が終わる――が、弔いはなお終わらない。弔うことのできない状態もまた終わらない。
〈還る ことにはならないだろう〉とは〈個から解放される〉ことがない、と認識することだ――それでも、諦めるのでも退行するのでもなく。