新川和江「長十郎の村」[2024年08月27日(Tue)]
◆梨は、果物のなかでは出回っている期間が短い印象がある。
一皿いくらで買い求めた洋梨、もったいなさに一日置いていたら、押された跡の茶色が濃くなっていたので慌ててナイフを入れた。甘味は申し分なし。傷つきやすさを代償として神様から賜った甘さと言うべきか。
余勢を駆って長十郎梨を買ってみた。暑熱を忘れさせる豊かに甘い果汁。
さて梨のジュースは身近に見かけることは少ない気がする(存在しないわけではない)――どうしてだろう?
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長十郎の村 新川和江
〈なぜ 果実はあまくみのるのでしょう〉
それだけ言えばこと足りたのだ
梨畠にかこまれた中学校の講堂で
美について愛について幸福について
縁日の金魚すくいみたいに
紙柄杓(かみひしゃく)ばかりひらつかせていた私のお喋り
控え室に戻り
もてなしに出された梨の一片を食みつつ
いましがたの長広舌を私は愧(は)じる
〈なぜいい匂いまでたてるのでしょう〉
種族保存に必要なのは
黒い小さなたねだけなのに――
あの人たちは知っているにちがいない
幾十年
梨とおなじ陽を吸って水を吸って
長十郎さながらの肌色をしたあの人たちは
無駄口はきかないが
親の代から知っていたのにちがいない
美や愛や幸福などというものも
たぶん そのようなものであると
現代詩文庫『新川和江詩集』(思潮社、1975年)初出。
『新川和江全詩集』(花神社、2000年)に拠った。
◆誰もが講演を終えて反省に駆られるわけではない。念を入れて用意したことどもを話し終えてなおも気づきがあるから、慚愧の念に襲われるのだろう。
ここでそんな思いをもたらしたきっかけは長十郎梨だ。
どんな高説卓説をふるおうとも、地に根を生やし、一顆の確かな実りを産み出す人びとの前では色あせてしまう。
「美や愛や幸福」という言葉で言い表すのでなくても、愛情を注いで美しいものを育てることの幸せを彼らは知り、営々と伝えて来たはずであるから。