新川和江「歌」[2024年08月26日(Mon)]
◆米が品薄になって久しい。理由の第一は生産抑制が効きすぎたため、という。
無能なノー政の結果だとしたら深刻だ。
店頭に少し注意を向けていれば気づく話だから、「巨大地震に関する注意報」が出たことを機に、庶民の買いだめに拍車が掛かったかもしれない。
米不足をTVや新聞が取り上げられるようになったのは地震の注意報が解除になった後だから、水面下では当局による情報統制が働いていたかもしれない……と疑念はふくらむ。
じき新米が収穫される時期を迎えれば解消するだろうけれど、折しも連続する気配の台風は、その昔の蒙古襲来どころでない脅威だ。
日々の糧を心配する日がまた来ようなどと、夢想だにしなかったことだけれど。
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歌 新川和江
森の奥では死んだ子が
螢のやうに蹲(しやが)んでる――中原中也
生きている子どもたちを
光のなかで跳(は)ねさせているのは
闇のなかの
死んだ子どもたちです
生きている子どもたちを
ベッドの上でむずからせているのは
つめたい川を流れてゆく
生れなかった子どもたちです
生きている子どもたちの
目方をふやし 背丈をのばしてゆくのは
死んだ子どもや 生れなかった子どもたちが
使わずにたくわえている月日です
おやすみ
おやすみ
おかあさんは 子守歌をうたう
世界じゅうの 屋根の下で
目に見える子どもも 見えない子どもたちも
同じ腕に 抱き寄せて
どんなちいさな耳にもとどく
優しい声で
『夢のうちそと』(花神社、1979年)所収。
『新川和江全詩集』(花神社、2000年)に拠った。
◆生まれた子がみな順調に育つとは限らないことや、やむを得ずして産声をあげることのない命が少なからずあることを、現代人は忘れがちだ。
けれど災難の方は我々の慢心を見のがさない。飢饉、はやり病、災害……さらに、戦争だ。
我々が弱い生きものであることをつくづく思い知るなら、「見えないいのち」に注ぐまなざしがますます大切になってくる。彼らを悼むことは、生きて在る幼き者の安らかな成長を祈ることでもある。さらに、それを見守って生きる幸せに感謝することでもある。
◆別の詩では、次のように歌ってもいる――
歌いつくせない
喜びの歌 悲しみの歌 そのひとふしひとふしを
世界じゅうの子供たち ひとりひとりのための子守歌を
だからわたしは 今日も生きている
そうして明日も
(「生きる理由」より:詩集『夢のうちそと』所収)