新川和江さん逝く[2024年08月20日(Tue)]
◆詩人の新川和枝さんが亡くなった(8月10日)。享年95。
最初の詩集『睡り椅子』を出したのは1953年(!)という。
師と仰いだ西條八十が逝ったのも8月だった。
火葬に立ち会った折の詩がある。
あなたは薔薇の火の中から 新川和枝
――一九七〇年八月一二日、師西條八十逝く。
同月一四日、幡ヶ谷火葬場にて荼毘に付さる。
あなたは
薔薇の火の中から
すっかり脱いで 出てこられた
瞳(め)が 唇が 指先が 肩が
みつからないので戸惑っていると
「少し脱ぎすぎたかね
これじゃ 形無しかね」
と声がし 骨片が
恥じらいを含んで仄かにいろづいた
「いいえ
これまでのどの日よりも おきれいです
でもどうしてまた こんなにも素直に
ご自分をほどいてしまわれたのですか」
わたしはそのひとひらを竹の箸に挟んだ
いとし子の散らかした積木を
後片付けする母親のように 身をかがめて
喉仏(のどぼとけ)だった
象牙づくりの十字架のような!
そこに磔(はりつけ)にされ
苦渋ののちに美しい翼を得て
飛翔していった数多の詩句を思う
あるいは魴鮄(ほうぼう)の小骨のように
突き刺さったまま
ひそかに墓深く下りていく言葉たちを
「圓屋根(ドーム)がいいね 耀く白金の」
とこんどは中庭の
夾竹桃の花の梢で声がした
隠亡(おんぼう)は白い頭蓋骨で
ねんごろに壺の十字架を蔽った
『つるのアケビの日記』(詩学社、1971年)所収。
詩集『生きる理由』(花神社、2002年)に拠った。
*この八月、我もまた従兄の荼毘に臨むこととなった。
近時は火勢を強くしているためか、最後に納める頭骨も形を留めないことが少なくない。
従兄の場合、喉仏はそれとハッキリ分かる形であった。
その喉を通って語られたよもやまの話は、語り主の表情やしぐさとともに記憶の奥処にしまわれていたはずだが、現し身を離れ中有ののちは、花の梢から、あるいは雲のはたてから、自在に語りかけてくる存在となるのであろうか。