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長田弘+R.ジャレル「畑と森」[2024年08月06日(Tue)]

DSC_0347.jpg

◆東北新幹線からの眺め。仙台過ぎたあたりだったか。
一面の稲田に見えたのだが、仔細に見ると、大豆に転作したところが混じっていたりする。

*******

◆以下は北米大陸、アパラチアの農夫の話だが、長い時間を大地の上で生きて来た者に思いをめぐらすことに違いはないと思える。


畑と森   ランダル・ジャレル 
         長田弘・訳


飛行機の窓から見下ろすと、境界線が見える。
道が、轍が、織物のようだ。編み目のようだ。
人の歩いた跡。仕事の跡。人の暮らしがそこにある。

天が農夫に訊いた。何がおまえの仕事なのだ?
農夫はこたえた。農業です。あるいは、牛を飼い、
酪農をしています。その牛の群れが、
この高さから見ると、子どもの玩具の牛に見える。

この高さから見下ろすと、
畑はおそろしく単調だ。

明るい畑のあいだには、しかし、暗い場所がある。
農夫と農夫は、たがいに共有する
森によって、たがいに隔てられている。
この暗い場所を切りひらいて、畑はつくられたのだ。
夜には、狐が森からでてきて、鶏を食べる。
夜には、鹿が森からでてきて、作物を荒らす。

できるなら、農夫は、森の外に畑をつくっただろう。
だが、森の外は、畑にならない。沼地か、岩地で、
ブルドーザーでも、ダイナマイトでも
どうにもならない。それでも農夫はそこが好きだ。
子どものころ、そこに、かれの見つけた洞穴があった。
いまは、そこで、狩りをする。そこは荒れ地だ。
いまあるものを、いまさら変えてみても
時の無駄、金の無駄だ。

夜、飛行機から見えるのは、灯りだけだ。
あちこちの灯り、家々の灯り、車のヘッドライト、
そして、暗闇。眼下のどこかで、灯りのそばで、
農夫が、裸になって、義歯をはずす。
何も食べたくない。眼鏡をとる。
何も見たくない。目を閉じる。
できるなら、耳も塞いでしまいたい。
何も聞きたくない。正直のところ、
舌も引っこぬきたい。何も話したくない。
腕も、脚も、だ。身動き一つしたくない。
何もかも一緒くたにして、子どものように、
身体をまるめる。頭を空っぽにする。
身についた人生だって、どうでもよくなる。
とどのつまり、彼は世界を放りだす。

すべてを放りだしたあとに、何が残るか? 願望だ。
盲目の願望だ。しかし、願望は盲目ではない。
願望は、見たいものを見る。

農夫は立って狐を見ている。
辺りの畑は眠っている。畑は夢を見ている。
夜には、農夫はどこにもいない。畑もどこにもない。
夜には、畑は、森になった夢を見る。
少年は立って、狐を見ている。
そのままずっと見ていられたらというように――
少年は狐を見ている。
あるいは狐が少年を見つめているのか?
木々は、離れている二人に、何も語ることができない。


*Randall Jarrell(1914-1965)。詩人、小説家。

◆これに添えた長田の文章がまた良い。
詩とともに、亡き従兄への挽歌としてここに書きとめておく。


アパラチアの山の人びとのいままでを語り伝える本で読んだ、かつて山の少年だった一人の老人の回想。夢を見るには、目をきれいにしなければならないと、少年の父はよく少年にいった。父はいつも、山を見ていた。山を見ていると、目がきれいになる。いい夢を見ることができる。これは信じていいことだ、と父は少年にいった。少年は信じなかった。そのことを、老人は後悔している。山はいまでも、そこにある。しかし、いまでは、父のように、誰ももうゆっくり山を見ない、と老人はいう。われわれは夢の見かたを、いつか忘れてしまったのだ。

長田弘『詩は友人を数える方法』(講談社文芸文庫、1999年)より






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