谷川俊太郎「歩く」[2024年07月28日(Sun)]
◆昼過ぎ、急に停電になった。
ご近所に聞いてみると、引き込み線が共通の隣家と我が家の2軒だけだ。
電気会社に来てもらうことにしたが、2時間ほどかかるという。
その間、窓を開け放してひたすら待つしかない。
動かなくても汗は噴き出る。
ジッとしているくらいなら、外を歩きたくなる。
「歩く」ことがとても能動的な行為だからだろう。
人間が、受け身ではとてもやっていけない生き物だと思い知った。
歩く 谷川俊太郎
歩いている
自分の二本の脚で歩いている
いつか歩けなくなるとしても
いまは歩ける幸せ
歩いている
曇り空の下を歩いている
用事はあるがそれはどうでもいい
どこからどこへそれは分かっている
この路地は大通りへ通じていて
大通りは盛り場に通じていて
盛り場は海へそして他の陸へと続く
そのどれもただ通り過ぎるだけ
歩いている
このささやかな喜び
たとえ心に何を隠しているとしても
脚はこの星を踏みしめている
『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫、2013年)より
◆電気の復旧は幸い夕餉のしたくに間に合った。
電気会社の人によると、引き込み線の先、道路側にあるヒューズが経年劣化でダメになったのだという。
暑さが関係しているかどうかは分からない。
ヒューズも、それを支える電線も、しっかりこの星を踏みしめている電柱と一体になっているのだが、歩くわけにいかないのはいかにも気の毒だ。
月夜に電信柱を歩かせずにいられなかった賢治の気持ちが分かる気がした。