
高見順「黒板」[2024年02月25日(Sun)]
◆もう、仕事の夢など見ない。
――そう思えていたが、そうでもない。
明日が定期試験だというのに問題がまだ出来ていない、とか、試験範囲が終わってないゾ、と試験前最後の授業で気づいたとか、いずれにしろロクでもない夢は、さすがに減った。
代わりに文化祭や修学旅行の夢が増えた気がする。それも、シンドい場面はあまりなくて、準備・当日含め、ワイワイやっている夢が多い気がする。
お祭り、きらいじゃないのは誰かに似たのか、青春期に味わった楽しさゆえか。
時々いい考えが閃いて、どこかで活かしてみよう、などと考えている夢もあるものの、それらはたいて目覚めて直ぐに跡形もなく消えている。どなたも経験のあることだろう。
◆次の詩も夢の一場面のようだ。
黒板 高見順
病室の窓の
白いカーテンに
午後の陽がさして
教室のようだ
中学生の時分
私の好きだった若い英語教師が
黒板消しでチョークの字を
きれいに消して
リーダーを小脇に
午後の陽を肩さきに受けて
じゃ諸君と教室を出て行った
ちょうどあのように
私も人生を去りたい
すべてをさっと消して
じゃ諸君と言って
『死の淵より』(講談社、1964年)所収。
高橋順子・編『日本の現代詩101』(新書館、2007年)に拠った。
◆鮮やかな人生の幕引き――そうありたいと誰しも願う。現実はその逆で、ジタバタもがくのが普通の人間だろう。
病と闘う中から絹糸を紡ぎ出す蚕のように詩を綴った高見順(1907-1965)。
若い自分に晴朗な印象を刻み付けた青年教師。
フッと、光の粒のように日差しの中に姿を消したイメージは、繰り返し記憶から呼び出すうちに、ますます洗練されて醇乎なものになったようだ。
消し残しやチョークの粉を残さないのと同様に、見苦しいもの全くとどめることなく、この世界から消えたいという願い――鮮やかな手のしぐさと、忘れがたい一言だけを残して……。