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アロオクール「別れの唄」(西條八十訳)[2023年12月17日(Sun)]


別れの唄  エドモン・アロオクール
            西條八十・訳


出発するということは、いくらか死ぬことである、
愛するひとに対して、死ぬことである、
人間は一々
(いちいち)の時間の中に、一々の場所の中に、
自分を少しずつ残してゆく。

それはいつも願望の喪失であり、
詩の最終の言葉、
出発するということは、いくらか死ぬことである。

出発なんか、至高の別離すなわち死の別れに較
(くら)べれば
遊びのようなものであるが、
その死の時まで、人間はさよならを言う毎
(たび)
自分の死を、そこに植えてゆく、
だから、出発するということは、いくぶん死ぬことである。




北村薫『詩歌の待ち伏せ(上)』(文藝春秋、2002年)で出会った詩。

江戸川乱歩やコナン・ドイルと話は縦横自在に飛んで、ドイルの死を伝えた昭和5年7月8日付の新聞の切り抜いていた乱歩のことから、同じ日、ドイルの死を知った西條八十のことに及ぶ。
娘・西條嫩子(ふたばこ)『父 西條八十』によれば、この日西條八十は博多の宿でドイルの訃報を知った。小説で有名なドイルが一巻の詩集を世に出した詩人でもあったことを惜しんで、その夜西條八十は、《あまりに一方散文作者として有名であるがために、読まれずに終わつてしまふであらう彼の詩の短い一、二篇を想ひ出しつつ、微吟しつつ眠》ったという。

◆北村薫のこのエッセイは、ついでレイモンド・チャンドラー『長いお別れ』の名台詞《さよならを言うのはわずかのあいだ死ぬことだ》へと続く。
冒頭に掲げた西條八十訳「別れの唄」の一行目の詩句である。

チャンドラーが『長いお別れ』を発表したのは1953年。だが西條八十はそれをさらにさかのぼる昭和10(1935)年、富山から東京まで試乗した新聞社の飛行機の中で、このアロオクールの詩句を思い出すことがあったのだという。
空の旅が大冒険であったろう当時として、落っこちでもしたら……と万が一のことが胸をよぎり、この詩を思い出した、ということだったのだろう。

◆小津安二郎の「お茶漬けの味」は1952年の映画だが、海外出張で羽田を発ったはずの夫が、飛行機のエンジン不調で引き返してくる、という偶然が、離れかけていた夫婦の仲をまた結び直させる、という展開になっていたことなども思いあわせてしまう。
万が一永遠の別れになってしまったとしたら、と案じる気持ちが、旅に向かう者・見送る者双方にかけがえのない時間を意識させ、互いの面影やことばを心に刻み付けさせる。

空の旅は言うにおよばず、列車の旅も事情は同じだ。
旅立つ者・見送る者それぞれに小さな「死」を少しずつ経験しているのだということになる。
それは同時に、「生」に深みと奥行きを増すことでもある。
生まれ在所や嫁ぎ先から殆ど出たことのない人も、親兄弟姉妹や友垣を見送ることを大切な記憶として生きていったはず。

それを思えば、見送り・見送られる経験の乏しい現代人は、何を語り、何を遺して死へと向かうのだろう。



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