
木島始「あさぼらけ森つきぬけて」[2023年12月12日(Tue)]
あさぼらけ森つきぬけて 木島始
やっとよちよち歩きをしだしたばかりの
赤んぼのころを想い出せるひとがいれば
何万年かまえ直立猿人となってすぐ
先祖が放った匂いを嗅げるにちがいない
みどりの芝露を冷やりとふみしだいて
森に駈けだし驚いてばかりいたとき
わたしはまだどんな言葉も母から
何ひとつならい覚えてはいなかったろう
あわて叫ぶ母音(ぼいん)をぐっと呑みおろしながら
木の間がくれに森をさまよいだしたころ
わたしの脳にはきっと朝ごとに樹液の虹が
ひかりの泉ともども射しこんでいたのだ
だからわたしの夢は獣や花粉が入りみだれるのだ
だからわたしの夢は傷だらけのまま目覚めるのだ
日本現代詩文庫『[新]木島始詩集』(土曜美術社出版販売、2000年)より
◆「樹液の虹」「ひかりの泉」……それらの美しい記憶は、身に受けた傷とひきかえに手に入れたものだ。流れる血を舐め痛みをこらえながら、自分がどんなに頼りなく弱い生き物であるか思い知った。
赤ん坊を抱いたとき、人はそのことを、つかのま思い出す。
だが、武器を手にして殺戮に狂奔する人々は、そのことを忘れてしまっている。