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長田弘「意味と無意味」[2023年11月17日(Fri)]


意味と無意味   長田弘


うつくしいものはみにくい
慕わしいものは疎ましい
真剣なものはふざけたものだ
確かなものあるべきものはない
何でもあるしかし何もない
必要なものは不必要なものだ

くだらないものはすばらしい
すばらしいものはくだらない
もっとも賢いものはもっとも愚かなものだ
どんな出鱈目もけっして出鱈目ではない
本当でないことこそ本当のことだ
必要なものは不必要なものだ

正しさは間違いだ間違いが正しい
間違いをおかさぬものは誤たない
誤たぬものは悲しまない悲しまないものは
笑わない笑わないものは笑うものを憎む
憎むものは憎むことを憎むことができない
必要なものは不必要なものだ

意味に意味はない何も語らないために
語り何もまなばないためにまなぶ
読むとは読まないこと聴くとは
聴かないこと知っているとは
何一つ知らないということだ
必要なものは不必要なものだ

われわれ自身をわれわれは信じていない
われわれが得たもの得るだろうものは
すべて失ったもの失うだろうものだ
あなたは誰? ではない問わるべきは
誰があなたなのか? ということだ
必要なものは不必要なものだ

結ぶ言葉はない初めからなかった
大きな松の木の枝の一つずつに
百羽のカラスが飛んできて
百の黒い影をつくった
青空にほかならない
無 のなかに


『一日の終わりの詩集』(みすず書房、2000年)所収。
『長田弘全詩集』(みすず書房、2015年)に拠った。



◆同じものを見ていても、見る人間が別であれば違って見える、と言っているように読める。
立場を入れ替えれば、ものごとが全く異なる相貌で見えてくることはよくある話だからだ。
だから、相手の立場に立て、と「人の道」をタタキ売りしているわけではない。

あるいは、俯瞰の視点を持て、というのでもない。突き詰めればそんなことは誰にもできないのだから。

◆そんなフヤケた相対主義では、2023年のいま、この詩を読む意味がないだろう。
(意味を求めること自体、ここでは否定されているのだが。)

同じ地上に生きているのに、それぞれが見ているもの、体験しているものは、まったく正反対であるという不条理に、あなたはどこまで堪えられるか?――そう問われているように思う。

◆詩は〈必要なものは不必要なものだ〉と繰り返す。
例えば、これを、高く築かれた「壁」のことだ、と読んでみる。
相手を排除するために一方には必要と思われたものが、壁の中の人々には不必要なものでしかない。不必要なだけでなく、憎悪をかきたてるものとして目の前にある。

それは壁を必要としたものたちにも同じ効果をもたらす。
壁が安心をもたらすのでなく、見えないゆえにむしろ不安を増大させる。

であれば〈必要なものは不必要なものだ〉というリフレインは、(頭に上った血を冷ませ)と呼び掛けているのだろう。
にもかかわらず空爆し、砲撃することをやめない。

なぜか?
――〈憎むものは憎むことを憎むことができない〉という逆説に陥っているから、と言うべきか。
敵対するもの同士、まさにこの状態にはまりこみ、行き止まりから抜け出せずにいるように思える。

〈われわれが得たもの得るだろうもの〉
〈すべて失ったもの失うだろうもの〉と等号で結び、さらにもう一つの等号で〈いのち〉と明示すれば、それに続く問いかけ〈誰があなたなのか?〉という転倒させた問いは、次のように言い換えることができるだろう――

〈誰が《死すべき》あなたなのか?〉

こう問いを発せられてたじろがぬものが果たしているだろうか?
寸刻ののちに《死すべき》は、《あなた》であり、《わたし》である、と喉元に突き付けられているのだから。



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