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会田綱雄「伝説」5[2023年11月03日(Fri)]

会田綱雄「伝説」が生まれるまでを記した「一つの体験として」は、戦前の上海で交流のあった作家や詩人の名を挙げ、中でも詩友・池田克己と彼を通して知った中国の詩人・路易士(ルイス)との交友に筆を割いている。

ある日、路易士と飲んだ時の出来事、それが「蟹を食う」ことにまつわって遭遇した二つ目の実体験である。


一つ忘れられない思い出がある。五馬路の料亭で、路易士と、彼の弟の路邁と、私の三人で花彫を飲みながらおしゃべりしていたとき、うっかリカニを注文してしまった。そのカニをボーイが持ってきたとたんに、路易士の目が少し険しくなって、自分はいやだ、カニは食わないと、はっきり言いました。私はハッと思ったが、しらばっくれて、「なぜ?」と聞いてみました。ぼくはカニが子供の時分から嫌いなんだ、力ニの格好が嫌いなんだ、見るのも嫌いなんだ、と彼は説明したが、私は路易士がカニを食べなかったのは、カニの格好のこともあったかもしれないが、日本人と一緒に、日本人に殺された同胞の肉あるいは血の変化した何かを食べておいしくなっているといわれるカニを食べるのを、潔しとしなかったのだろうと思う。そのことも私には忘れられない思い出になった。南京で聞いた一つの口承、戦争の年のカニはおいしいという口承、それから私と仲のよかった路易士が、カニだけは私と一緒に食べなかった。食べなかったのは当然だと思うが、私が見聞したその二つの事実が私の記憶から消えずに、何かそのことを書き残しておきたいという気持がつよくなった。しかし、それをどういう形で伝えたらよいか、あるいはどういう形でそれを記録したらよいか、私は不器用で、小説にも、随筆にもすることができない。詩にもならなかった。日本へ帰ってきて、昭和三十年、終戦から十年たったわけですが、ある日不意に「伝説」のイメージが生まれた。直接には路易士のことも、池田君のことも、南京や上海で私が体験したことも、この作品には出していないが、私としてはそういう戦争中の体験がなければこの詩はできなかったと思うし、また体験だけでなく、それを果たしているかどうかはわからないが、たとえば揚子江で日本軍に無理無体に一斉射撃で殺されて流された何万という無辜の民衆、戦争中の上海で日本人ともつきあいながら、しかし悩みながら、それでも路易士のように詩を書いていた人びと、そういう人たちに対する私なりの鎮魂歌として「伝説」の詩ができたのだといっていい。リルケも「詩は体験だ」といっているが、戦中の中国大陸で無残に死んでいった人びと、そのほかさまざまな人たちとの出会い、その人たちが私に落としていった大きな影、深いうらみ、不思議ななつかしさ、それらのものを私なりに、曲がりなりにも出せたと、この「伝説」については思っている。

現代詩文庫『会田綱雄詩集』(思潮社、1975年)より。


【引用者注】
五馬路…上海の通りの一つ、現在の広東路とのこと。
花彫…紹興酒の一つ。

*なお、路易子の弟、路邁の読み方、ネット上で読み方検索にかけてみたら「ルーマイ」と読めるようではあった。しかし会田は、路易子については上海語「ルイス」と発音すると説明したものの、路邁の読み方は示していない。


◆会田綱雄自身は、この詩を〈鎮魂歌〉であるとはっきり記している。

このことを離れて〈蟹を食うひともあるのだ〉という一行を読むことはできない。
同様にこのことを脇に追いやって「伝説」の最終連を読むこともできない。

夜半の湖にうかべた舟に身を横たえて

やさしく
くるしく
むつびあう


――夢幻の光に包まれたように、あるいは再び胞衣の中に戻ろうとするかのような、哀切が極まって神々しくさえあるような性のいとなみ。

「伝説」は、中国本土で日本軍によって奪われた多くの命を想像せずに読むことはできない。
一人一人の生が断ち切られ、射貫かれて水底に沈んだことを思わずに読むことはできない。

虐殺が「伝説」に変容するには、生き残り語り継ぐ者たちが呑み込んだものの大きさと、祈る時間の質量とでも呼ぶべきものの重さを必要とする。

柴田翔は「蟹を食うひともあるのだ」という重要な一行を「ちょっと不思議なことば」と記しただけで、この詩が生まれた経緯については黙殺した。
『詩に誘われて』という本では〈性と死〉というテーマで「伝説」その他の詩を取り上げているのだが、戦時下の狂気がもたらしたおびただしい〈死〉についてはスルーするやり方を採ったわけである。

詩は言う――
「わたくしたちのちちはは」が「痩せほそったちいさなからだ」「湖にすて」、それを「蟹はあとかたもなく食いつくす」「それはわたくしたちのねがいである」

これらを柴田は次のように要約する――先行世代が次世代のために「生き物の食の連鎖の中に自分自身を投げ入れる」「自分の身体を蟹とすることが、世代から世代への生命の継承を成就させる」

最終連についても「原始の性の風景」と表現しているが、そのように片付けることは、遺族を含む人々の苦悩と沈黙、再生への祈りといった膨大なもののことごとくを、観念によって遠くへ追いやり、再び水底に沈めてしまうことに他ならないのではないか。

無惨な死が「伝説」という詩へと昇華するに至ったのは、悲しみや絶望をもたらした死を、生への物語に変容させることが人間には必要だと思う詩人が、それにふさわしい表現を求め続けたからだろう。それは祈りと言っても良い。事実が口承という形式を与えられ、さらに〈伝説〉という普遍の衣を得る。かくして生まれた〈鎮魂歌〉、その詠唱にどれだけ多くの人々が加わっていることだろう。


会田綱雄「伝説」本文(10/29記事に全文)
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/2844

柴田翔の読み(10/30記事に抄録)
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/2845



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