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会田綱雄「伝説」その4[2023年11月02日(Thu)]

会田綱雄の詩「伝説」が生まれるについては、会田自身が「一つの体験として」という文章に書いている。
最初に〈蟹を食う人もあるのだ〉という一行に引っかかりを感じた以上、この文章について知らぬフリはできず、実際「伝説」を取り上げる人の多くが、「一つの体験として」をふまえている。

その最初の方を引いておく。


「一つの体験として」  会田綱雄

この「伝説」の発想を、いつ、どこで得たか、というと、昭和十二年の暮、私は二十五歳だったが、志願して、南京特務機関という、軍に直属した特殊な行政機関にはいった。軍が直接に関係できない、あるいは指示できない中国側の行政機関に対して、軍のかわりに、作戦への協力を要請する機関、それが特務機関。そこに配属されて、当時のことばでいえば軍属だが、軍というのは、軍属読法というのがあって、機関長の前でそれを読んで誓約する。二年間はつらくても、なんでも勤務しなければならない。はいってすぐいやになったが、二年間はそこでしんぼうした。その特務機関には、日本が南京を攻略した兵隊も、特務機関の前身だった宣撫班の班員もいた。こういう席で、どうかと思うが、日本軍は南京で大虐殺をした。その大虐殺をその目でた人が何人かいて、なまなましい思い出話を聞かされたことがある。その話のあとで、こういうことを聞いた。それは、戦争のあった年にとれるカニは大変おいしいということ。これは日本人がそういうのではなく、占領され虐殺された側の民衆の間の、一つの口承としてあるということ。そのことを特務機関の同僚が私に教えてくれたのである。戦争のあった年にとれるカニがおいしいというのは、戦死者をカニが食べるので、脂がのっておいしいというのである。はたしてカニが、人間そのままの形ではなく、腐乱しプランクトンのようにドロドロになった人間をであろうが、食べるかどうか、調べてみたことはないが多分食べるだろうと思う。人間だと思って食べるわけではなかろうが、食べるにはちがいない。だから中国人は、戦争中は、よほどのことがなければカニを食わなかったのではないかと思う。私のつきあった中国人で、私の目の前でカニを食べた中国人はひとりもいない。カニが戦死者を食うという口承は、私の頭の中にこびりついたが、南京ではカニにお目にかからなかった。


現代詩文庫『会田綱雄詩集』(思潮社、1975年)より。
*もとは(一九七〇年六月二〇日『現代教養文庫・詩をどう書くか』)

◆「占領され虐殺された側の民衆の間の、一つの口承として」聞いた話である。語ったのは特務機関の同僚。しかも南京大虐殺のなまなましい話の後で。

〈蟹を食うひともあるのだ〉は、そこから生まれた一行だと言っていい。戦慄と驚倒の詩行。

◆それは、民衆の言葉として語られている。
その口から発せられる言葉として語られるゆえに(あるいは実際に発せられなかったとしても、身体の底の方から突き上げる言語以前の衝迫としてその人間を領するゆえに)、「口承」としてのリアリティを持つ。

あるいは逆の方向から、つぎのように言うこともできる――直話が「口承」に変容し、やがて”伝説”に昇華するその端緒につく、と。

*つい先日、BSで北海道・知床の秋が映し出された。カラフトマスの遡上を待ち受け捕らえる熊などの野生動物。
――最後に、力尽き底に沈んで来たカラフトマスを、蟹が食うシーンがあった。目も心も釘付けになった。


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