
『ポエトリー・ドッグス』よりE.パウンド「木」[2023年09月28日(Thu)]
またもや30℃越えの一日。所用で1〜2時間出かけただけで疲れる。
夕方になっても熱せられた空気がモワッと漂っている。
日の光は明らかに秋めいているのだが。
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◆ようやく手元に届いた斉藤倫『ポエトリー・ドッグス(Poetry Dogs)』、書評に取り上げていたのだったか、いきさつすら忘れてしまったが、奥付を見ると去年の10月。世に出てから一年近く経っている。お酒ではないが、良い時期に読まれるよう、少し寝かせて置いたような。
◆題名そのままに、犬のバーテンダーが、客のその日の気分に少しだけ香気を加える詩を幾篇か出してくれる、という趣向。アンソロジーというほど天こ盛りでなく、ソフトな語りかけでうっすら霧に包まれた詩の森の散歩に誘ってくれるという趣きの一冊。
◆〈第二夜〉に紹介されている詩を――
木 エズラ・パウンド(小野正和・岩原康夫訳)
わたしは静かに立っている森の中の一本の木で
以前には見えなかった物事の真実や
ダフネとアポロの月桂樹の弓のことや
神々をもてなして森の楡樫になった
年老いた夫婦のことを知っている。
二人が祈りをささげ、
自分たちの心の炉辺に
神々を招き、もてなした時、
初めて神々はそんな不思議なことをしたのかもしれない。
ともあれ、今ではわたしは森の中の一本の木で、
以前わたしの頭では馬鹿げたことに思われた
数多くの新しいことを知ったのだ。
*詩の出典:エズラ・パウンド『消えた微光』小野正和・岩原康夫訳(書肆山田、一九八七年)
※木になった老夫婦とはバウキスとピレーモーン(オウィディウスの『変身物語』)の話をふまえる。
◆人間が木を見上げてさまざま思う詩ならたくさんあるだろうが、木に変身する話は神話の世界だ。
木を通して、では、狭く薄っぺらい観念の世界にとどまる。
そうではなく、木そのものになる。
神話を信じなくなった現代人に、忘れている世界に直に招じ入れるのは、詩の不思議な力である。