
奏楽の花[2023年09月11日(Mon)]
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![]() 奏楽の花[2023年09月11日(Mon)]
![]() 田村隆一「きみと話がしたいのだ」[2023年09月11日(Mon)]
きみと話がしたいのだ 田村隆一 木について きみと話がしたい それも大きな木について 話がしてみたい どんな木だっていい 北米中西部の田舎町の 食卓やドアになるカシの木 群馬の山のなかのニレの木 武蔵野のケヤキの木 鎌倉のモチの木 どんなに生きる場所が変ってもぼくの世界には 大きな木がある 不定型の野原がひろがっていて たった一本だけ大きな木が立っている そんな木のことをきみと話したい 孤立してはいるが孤独ではない木 ぼくらの目には見えない深いところに 生の源泉があって 根は無数にわかれ原色にきらめく暗黒の世界から 乳白色の地下水をたえまなく吸いあげ その大きな手で透明な樹液を養い 空と地を二等分に分割し 太陽と星と鳥と風を支配する大きな木 その木のことで ぼくはきみと話がしたいのだ どんなに孤独に見える孤独な木だって 人間の孤独とはまったく異質のものなのさ たとえきみの目から水のようなものが流れたとしても 一本の木のように空と地を分割するわけにはいかないのだ それで ぼくは きみと話がしたいのだ 『誤解』(集英社、1978年)所収。 現代詩文庫『続・田村隆一詩集』(思潮社、1993年)に拠った。 ◆前々回の「保谷」と同じく、この詩にも大きな木が聳えている。 それは抽象した「木」一般ではなく、武蔵野のケヤキ、鎌倉のモチ、という風に、ある場所に根を張りそこから空と地、宇宙や生き物たちを支配している「木」だ。 だから、この木が見える人の数だけある、と言ってもいい。 それなのに、見えぬ人には、いくら地面を掘っても、その木の根を探り当てることはできないし、いくら仰いで見ても、風を動かし鳥と戯れるその枝や葉を見ることはできない。 (とすると、いま神宮の杜の木を伐ろうなどと考えている人たちに見えているのは一体、何なのだろう?)
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