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田村隆一「出発」[2023年09月07日(Thu)]


出発  田村隆一


おまへは信じない 私の生を
私は出発する 雨の中を

暗い岸壁に私の船が着く
……そして私の生の幻影が

黙って私は手を振る
それなのに おまへは信じない
私の生を 雨の中の私の出発を



現代詩文庫『田村隆一詩集』(思潮社、1968年)より


◆敗戦の翌年の暮れに発表された詩。
その3年前の1943年12月に学徒出陣で海軍に入隊した田村にとってこの「出発」は、戦地に赴くはずだった己の、実現しなかった幻の船出を意味するだろう。

「暗い岸壁」に着いた船に確かに搭乗する定めなのに、「おまへは信じない」。
「信じない」――そのことが己を生かした当の力であったのかも知れないのだが、あの時も今も、幻影の生を生きていることにおいて変わりがないのは、どうしてだろうか。
            (台風13号が接近中の秋の雨夜に。)



田村隆一〈空は〉[2023年09月07日(Thu)]


「幻を見る人」より 田村隆


空は
われわれの時代の漂流物でいっぱいだ
一羽の小鳥でさえ
暗黒の巣にかえってゆくためには
われわれのにがい心を通らねばならない



中村稔「眩暈と違和――田村隆一、この一篇」より(『私の詩歌逍遙』所収 青土社、2004年)

◆中村稔が田村隆一の訃報に接して選んだ一篇(初出『現代詩手帖』一九九八・十)。
詩集『四千の日と夜』の最初に掲げられた詩群のひとつ。
ただしこれを中村は、四篇から成る「幻を見る人」の最終篇(第四編)であるとしているが、一般に知られているのは、第三篇としてである(現代詩文庫など)。
別稿があって、中村がそれに拠ったものか、不明。

◆漂流物は「われわれのにがい心」の中にこそ、おびただしく浮かび漂っているようだ。

漂流物をそれとして心が意識しない限り、それらは存在しないに等しい、と言ってしまえばミもフタもないはずなのだが、現代は、目に見えないから存在しないと言い抜ける徒輩ばかり大手を振って、ついには現物を目の前にしてすら、「あるとは限らない」とか「別の立場からだと、あるとは証明できない」、さらには、「ない」と完全否定する者さえ世にはびこる。
悪びれることなく同じ空気を吸い、同じ空を飛び交っている。

まして海・山においてをや。

「われわれの心」が苦さを増して限界に達すれば、急に甘さに転じる、なんてことはあるのだろうか?

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