
高見順「黒い船」[2023年03月08日(Wed)]
◆3月7日、政府は入管難民法改正案を閣議決定した。悪名高い全件収容主義(在留資格がない人を原則全て収容する)は実質的に維持する一方、難民申請中の人をも強制往還できるように改悪する、とんでもないしろものだ。名古屋入管でのスリランカ女性の死を少しでも教訓にしようとする姿勢はゼロ。人権後進国として開き直っているとしか思われない。
法案を潔く撤回することが、信頼される国となるための最低必要条件だ。
◆入管と言えば2004年のクルド人難民家族を思い出す。
いざとなれば私たちは山に立てこもる、という覚悟を彼らから聞いた。
その時にアララトという山の名も聞いた。富士山に似た姿で、かのノアの方舟が着いた山だという。
高見順の次の詩は、その方舟を、見捨てられる人間の視点から書いたものだ。
黒い船 高見順
――アルメニアに行つた私がノアの方舟のついたと言うアララート(聖書では「アララテ」)の山を見たときに
消えるまでゆつくり私を苦しめて
黒い船は闇に消えた
ノアは私を見すてて行つた
方舟(はこぶね)から救いの手すらさしのべず
神は自分だけを指名したのだと
波間に漂う私に傲然と言つてのけて
お気に入りの猫の咽喉(のど)を撫でていた
猫は咽喉を鳴らして喜んでいた
あらゆる動物が私を嘲笑した
助けてくれと私は言つてないのに
早く死ねばいいとはやし立てた
ノアに選ばれて方舟に乗つたそいつらは
ノアの寵愛をたのみ自分の幸運に酔つて
私の不幸を面白がつていたが
それをノアはとめようとはしなかつた
とめないことを博愛として黙つていた
黒い波がもうすぐ私を呑(の)むだろう
ノアだけが生きのこるだろう
神の飼い猫のようなおべつか使い
神をすらだましてのける偽善者
あいつの子孫だけが栄える地上に
私は生きのこらないだろう
狡智と残忍の生きのこる地上に
私は生きのこりたくはない
日本の詩21『中野重治・伊藤整・高見順・井上靖集』(集英社、1979年)より
◆先述の入管法改正案では、長期収容への「改善」策として”監理人”制度を導入するという。
「管理」の強制色を薄めたい意図で同音の「監理」を採用したのだろうが、あざといばかりか、むしろ、より強圧的だ。
「監視」「監査」でわかる通り、「見張る、とりしまる」の意味で使うのが普通で、その典型的施設が「監獄」である。入管を実質「監獄」として機能させている法務省の意識がこうした用語になるのだろう。
「神をすらだましてのける偽善者」ばかりで「狡智と残忍」がはびこる地上には、誰だって残りたくない。