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禿慶子「夜桜」[2023年03月05日(Sun)]

230303玉縄桜DSC_0084.jpg



夜桜   禿慶子


花見の客も散ってしまった川沿いの桜並木を 談笑する花たちのノイズの下を歩いて行く
太い幹には古い傷痕が見え 下枝の分れるあたり 人知れない闇を抱えている
見上げる桜は 艶然と自らのあかりに濡れて

橋のたもとに白い男が座っていた
足許の籠には ぼうっと光るシャボン玉が入っている
 買っていかない?
見上げた目がほのかに笑った どこかで会ったような気もするが思い出せない

立ちあがった男は 白い着物に戦闘帽を被った青年だった
誰もいない夜更けに こんな服装の男性が現れたのは桜の妖術に嵌ったのか
訝しく見上げるわたしに 今度は はっきりと親しげな頬笑みを返した
ようやく 幼い日の教室が甦った その日 残されて手紙を書くよう命じられたのだ 前戦の兵士へ

黄砂が舞って空が黄色い日に 返信を受け取った
日常を数行にしたためたハガキだ 余白に検閲済の印が滲んでいて
少しの間郵便ごっこをした ハガキはいつも忘れた頃に届く

あるとき 写真の入った封書を手にした
浅黒いキリリとした青年を考えていたので 色白のふっくりした丸顔と柔和な頬笑みを湛えた細い目に失望した
だが 時折り取り出して眺めていると心が和み 慕わしくもあった
硬質なものばかりが求められる時代だったからか
手紙のなかに
 今 内地の病院にいますが 近く部隊に戻ります
と 書かれていたが 連絡先はなかった

手紙も写真も その記憶さえ時間に押し潰されてしまった今 会いに来たのは なぜだろう
彼ばかりではなく 未来と希望を置いて 世を去った多くの人たちを思うと切ない
あの時代を生きてきたわたしは その人たちの置いていった人生の残りを 踏み潰してきたのではなかろうか
橋を渡った
過去と今 そして明日の間から 川の流れが透けて見える

振り返る桜並木は 揺れながら崩れ 水際まで伸びた枝は 戻らない誰かを探るよう みなもに差し出された 白い腕にも思えた


『しゃぼん玉の時間』(砂子屋書房、2016年)より


◆「黄砂」が暗示するように、大陸の戦地にいた兵士だろう。
「白い男」とあるのは、おそらく療養中に撮った写真の記憶による。

ぼうっとした光と幾つかの淡い色が闇の中に点在する。
記憶の底にしまい込んでいたハガキや手紙が帯びている色や光だ。

「彼」は戻らなかった。だが向こう側の世界に行ってしまったのではない。

置いて行ったものを確かめに――「わたし」の中に眠っていることを確かめに――途中の闇から抜け出て来たように思える。
「置いていったもの」は「わたし」が生きている限り、無くなったりはしない。
さらに言えば、それらを「わたし」が言葉で置き直してくれたことによって、読んだ次の誰かに受け渡されてゆく。



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