
乃木神社と乃木邸[2023年03月02日(Thu)]
◆きのう俳優座劇場へは乃木坂駅から歩いたのだったが、歩き始めてすぐ乃木神社の前を通った。
鳥居の前を通ることは何度かあったものの、足を踏み入れたことはない。先日某政党代表が参拝して批判を受けたことを思い出したが、正面右に大きな椿が樹勢盛んで花もたくさん咲いていたのに惹かれ、寄って見ることにした。
祀られているのは乃木希典ならびにその妻・静子である。
◆境内に「乃木大将と辻占少年像」というのがあった。
明治24年、乃木が金沢を訪れた折、辻占(つじうら)売りをして生計を支えていた少年に金弐円を渡して励ましたというエピソードを彫刻にしたもの(昭和43年制作)で、旧ニッカ池にあったのをこちらに移したものという。(六本木ヒルズ周辺の再開発で毛利庭園として整備され、ニッカ池そのものは姿を消した由)
◆歌碑があった。
日差しの加減で判読が難しかった。「武士(もののふ)は玉も黄金(こがね)もなにかせむ いのちにかへて名こそをしけれ 希典」とあるようだ。各地で武人として乃木を顕彰する碑や銅像に刻まれる歌のようで、乃木の歌を紹介する下記ブログによれば、明治31年、台湾総督の職を退いて閑居中の作という。
⇒http://www2u.biglobe.ne.jp/gln/77/7739/773911.htm
歌としては文切型で、乃木の漢詩(たとえば〈十里風腥(なまぐさ)し新戰場 〉と詠んだ七言絶句「金州城外の作」と比べても及ばず、と言うほかないが、殉死後、各地に陸続と乃木神社が生まれ、偶像化されていく時代の気分の中では、おあつらえ向きの歌であっただろう。
◆旧宅が保存されているのも初めて知った。ほかに厩(うまや)なども保存されている。
要は、乃木旧居に隣接して乃木神社が鎮座したかたち。
明治45年9月13日(明治天皇大葬の日)に妻・静子とともに自刃した部屋も硝子越しに見えた。
下の写真はその日の午前に撮影されたもの。
*「瘞血之處(えいけつのところ)」などという碑もあったが割愛。殉死によって血が付着した物を埋めた場所であるため、多くの供花があった。
◆敷地内には何本かのシダジイが目に付いた。劫(こう)を経た深いしわを思わせる樹皮が特徴だ。

◆さて通りに出てみると、乃木旧宅の入口はこちらの方だった。外苑東通りに面している。
ここから六本木の俳優座劇場まで徒歩10分くらいのはずだったが、近道と見当を付けて細道に足を踏み入れたのがマズかった(元をたどれば、神社に寄ろうと乃木坂を少しだけ下ったのが間違いの始まり)。スマホのナビも使いこなせず、人に尋ねることを繰り返して、汗だくで劇場にたどりついた。
◆俳優座の「聖なる炎」が良かったことは昨日書いた通り。
もう一つ良かったこと――帰宅後の入浴時、300グラムの減量を達成できた。
ご利益(りやく)であるならば、長く続きますように。