〈kill〉の主語は――[2023年02月14日(Tue)]
◆トルコ・シリアの大地震を報じるBS海外ニュースを見ていてドキリとした。
見出しが次のようであったからだ(BBCだったか、NBCだったか)。
Over 35,000 people killed in erthquake in Tuekey and Syria
〈killed〉の文字がグサリと来る。
膨大な死をもたらしたのが地震であることは言うまでもない。しかし、この記事の見出しを決めたデスクの心胆には、〈kill〉の動作主として人間も加担しているという批評が存在しているように思えたのだ。
◆耐震基準を厳密に適用しなかった建築関係者や、審査に手心を加える役人の狡猾さが指摘されている。
また、支援の遅れの一因として、被災したクルド人地域に対するトルコ政府の冷淡さを指摘する声(2/14のTV、高橋和夫氏のコメント)もあった。
人間の都合優先や不作為が被害を大きくし、助けられたかも知れない多くの命を見殺しにした、人災の側面もあるのではないか。
◆その最大の犠牲はシリアの被災者たちだ。
反政府勢力の多い地域であり、難民としてすでに苛酷な生活を強いられていた人々には、身を守るすべが最初から奪われていた。瓦礫に埋もれた人々を救い出すスコップ・重機もなければ、医療や食料の救援もほとんどゼロに等しい。誰が見捨てているのか。
◆この間も、ロシアとウクライナの戦争は休止どころか苛烈の度を加えている。
戦争と震災――性質の異なる二つの悲惨な事態が、ユーラシアの、遠からぬ地域に同時に起きているという異常事態。だが、震災被害も人為が左右することを考えれば、この進行中の二つの事態を少なくともマシな方向に向かわせるために人智を働かせるべきだと思う。
◆トルコ・シリアの大震災を知ったプーチン、ゼリンスキー両大統領の脳裏に、これを一時休戦の口実にする、という考えが一瞬でもよぎらなかっただろうか?
あるいは、そう発想して提案を試みるブレインが彼らの傍らに一人でも居なかっただろうか?
「大統領、いかがでしょう?――
一人でも多くの命を救い、犠牲者を収容し、瓦礫の片付け、民心の安定を得て復興の緒を確かめ得る日まで一両年をかける合意を模索する、そのための話し合いを進めては?国際世論をグッと引き寄せる絶好の機会ともなりましょう。」
◆トルコ・シリアはウクライナ・ロシアの双方にとって、地理的にも外交関係においても有縁の国々だ。
トルコ・シリアのために、銃をスコップに持ち替えて支援に力を尽くす。「戦争に勝つ」べく身に帯び過ぎた熱を冷ます時間ともなるのではないか。震災復興のために合力して汗を流すならば、戦争終結への別解も見出せるのではないか?
国民への責任を自覚する政治家であれば、素人の思いつきを夢想だと片付けないだけの頭脳と力を持っているはず、と期待したいのだが。