戦史叢書『捷号陸軍作戦〈2〉ルソン決戦』読了[2022年11月25日(Fri)]
◆ようやく戦史叢書第60巻を読み終えた。
『捷号陸軍作戦〈2〉ルソン決戦』である(防衛庁防衛研修所戦史室/著、朝雲新聞社、1970年)。
ルソン島モンタルバンで戦死した伯父の状況について、靖国神社の合祀記録にあった「マニラ防衛隊」および「渡辺隊長」を手掛かりに探したのだが、「マニラ防衛隊」の詳細、大隊・中隊等の細部まで絞り込むには至らなかった。
戦況の変化に伴う動き、再編も想像されるが、これも分からない。
戦死したとされる日は米軍によるマニラ制圧よりはだいぶ後の日付けであるから、守備線の移動とともに山に分け入って「抗戦」を続けたことが想像される。
伯父自身の軍歴照会のほか部隊ごとの動きを記録した資料に当たる必要を感じている。
陸軍については本籍地の県庁に照会すればよいらしい(海軍の場合は厚生労働省)。
◆頻出する大本営の「永久抗戦」の方針、「自活自戦」せよとの厳命が凄惨な結果をもたらしたことだけはよくわかる。
司令部からの命令が、達成を可能にするための武器・糧秣の補給を欠いた空疎なものであること、言い換えや麗句を連ねて、内実は最前線の兵や指揮官に責任を押し付けるものであることにも驚かざるを得なかった。そのことが降伏するまで繰り返される。
「戦病死」がいい例だ。マラリアなどによる死もあるが、栄養失調、飢餓による死も「戦病死」に含める。ソフトな言い方に溶かし込んでしまって、酸鼻の極を覆い隠す。姑息というほかない。
「死守」が文字通り「死んで守れ」の意味であることにも慄然とする。
「死ぬ覚悟をもって」などという鞭撻のための修辞などでは全くないのだ。
奮戦し落命した兵たちを、山下奉文大将(第十四方面軍司令官)の「感状」なるもので讃えたところで、それが何になるというのだろう。倦まず繰り返される感状の記録。ただただ空しいばかりだ。
◆そうして、こうした粉飾やズラし、実相から遠ざける態度は現在も変わらない。そのことに再び慄然とする。