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コヘレトの言葉「すべては塵に返る。」[2022年11月09日(Wed)]

◆買い物していて、フト虚脱感が見舞う。

3.11後の買い物で、食材の生産地を気にして野菜や魚を見ていた時に、店内が妙にガランとした感じがして、考えを絞り込めない気分に陥り、それがずいぶん長く続いた。あれに似ている。

旧約聖書「コヘレトの言葉」で繰り返される「空しく、風を追うような」喪失感というものなのだろう。

◆相棒の好みを考えながら買い物するのが習慣になっていた。ブロッコリーやサツマイモ、鶏のササミ肉や豚肉にピーマン、トマト。食が細くなったときにはまず牛乳(それも函館産を好んだ)。柿も好物で、今年もシーズンを迎えてホッとしたところだった。

人間の食事と相棒の食事の両方をニラみながら買い物するのが習いとなっていたから、もうその必要がなくなれば、肩の荷が下りたかというと、全くそうではない。
買い物をしている間、〈これも結構食べてたな〉とか、〈あれを忘れないようにしないと〉などと考え考え店内を歩いていたことまで思い出してしまうのだ。

帰宅してからも同様。〈まず、牛乳を少しあたためてやって…〉などとツイ考えている。
そのたび、ア、要らなかったか……と思い直している始末だから、いきおい人間の方の食事はおろそかになる。


*****

「コヘレトの言葉」3章10〜21節には次のような言葉があった。

人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。
神が人間を試されるのは、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。
人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、すべてはひとつのところに行く。
すべては塵から成った。
すべては塵に返る。
人間の霊は上に昇り、動物の霊は血の下に降(くだ)ると誰が言えよう。


 『聖書』新共同訳(日本聖書協会、1993年発行)より








コヘレトの言葉[2022年11月09日(Wed)]

◆相棒が遺した品物の整理に明け暮れして皆既月食の夜を迎えた。

何本かのリードや合羽、冬用の衣類、さまざまなオモチャなどなど。
不燃物回収の日だったので、昨夜のうちに家内がまとめて袋に詰めていた。
そんなに急がなくても…と思ったが、手元にあると思い出の中に沈没してしまいそうなのだろう。

◆夕方には、封を切ることのなかったのペット・シートやドッグ・フード、歩行支援のハーネス(残念ながらサイズが合わなかった)、キャリー・ケースなどを車に積んでリサイクルショップを回ったところ、幸いなことに3店目ですべて引き取ってくれた。

人間用の尿取りパッドも幾袋かあった。寝たきりが続いた場合に備えて買ったのだが、使うことはなかった。寝ている時間が長くなってからも、目が覚めると自分でシートの置いてあるところまで行って用を足そうとしていたからだ。
この2,3週間はシートを外す失敗も多く、目がほとんど見えぬままウロウロ歩き回り、用を足すに及ばぬほど疲れてしまうことも何度かあった。

我々の手を煩わせることが無いように努めた相棒の努力に頭が下がる。

***

◆手を休めると、何とも言えないものが襲ってくるばかりだ。

手の届くところにあった聖書を適当に開いたら「コヘレトの言葉」(旧約)だった。

いきなり次のような言葉が目に飛び込んでくる――

なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。


そうして繰り返し現れるのが次の詩句――

見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。

「風を追うような」という言い回しが都合九度も出てくる。

何をやってみても、捕まえることなどできない風を追いかけ回すことのように空しい――何という厭世的な思念だろう。

終わりには、(何もかもが空しいのだから)「神を畏れ、その戒めを守れ」という結論を用意しているのだが、そこまでたどり着けないのも生きる者の常じゃないか、という気がする。今は。
〈なァ、ポー君よぉ〉












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