阿部嘉昭「心室」[2022年09月29日(Thu)]
アメリカハナミズキの実が色づいていた。
国会前庭にて。
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心室 阿部嘉昭
いっせいにでていったので
のこされた椅子がかがやいた
うしなった人々へ反応して
おびただしさがてのひらをひらき
うすいあげぞこをかたどった
おわりはそうしてつづいてゆく
ものおとのあとのこだまが
ものおとのまえにもどるように
『橋が言う』(ミッドナイト・プレス、2017年)より
◆題に「心室」とある。
我々は赤血球のようになって心臓から全身へと送り出され、また心臓に還ってくるミクロの戦士となればよいのだろうか。
「おわりはそうしてつづいてゆく」という詩句にそぐう読み方のひとつではある。
その場合、「ものおと」のいちばんはっきりしているのは心臓の鼓動だ。
むろん、体外に生起と消尽をくりかえす物事の「おと」であってもよい。
◆題からもう一つ連想するのは「寝室」という同音の熟語だ。
その場合は朝、あわただしく職場や学校へと出かけて行ったあとの寝室が窓からの光の中に浮かんでくる。
そうした読みも可能だと思えるのは、言葉のつなげ方が独特だからと思う。
絵画で言えばキュビスムのように異なる方向からの像がつながっている。
「心室」という、個体の内部を真っ先に思い浮かべたところに、「椅子」が登場し、「ひとびと」の残像らしきものが続く。群像かと見れば「てのひら」という個に再び注目させるものが現れる。それらが呼びさます異なるイメージをたどって進んで行ったはずなのに、いつのまにか「まえにもど」っている。
◆「生」を表現しているようでありながら、同時に「死」のイメージが常につきまとっているようでもある。
考えてみれば、それが生きるということの姿であった。それを内から見る、次の瞬間には外から見る。
詩集『橋が言う』は、そうした言葉の連なりによって、角を曲がった先に予期しない光景を見せてくれる。
すべて八行から成る詩ばかりなので、文字の並びは正方形に似てルービック・キューブのようだ。手触りをたとえれば、板目方向と木口方向との材が交互に組み合わされた寄木細工、その様々な樹種の組み合わせの感触を掌で感じながら、その声たちに耳を澄ましているような。