• もっと見る
« 2022年07月 | Main | 2022年09月 »
<< 2022年08月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
石川逸子「夏のまさかりに」:原民喜[2022年08月06日(Sat)]

石川逸子の詩集『ロンゲラップの海』には、原民喜をうたった詩がある。

***


夏のまさかりに  石川逸子


夏のまさかりに
近く閉館になる 明大前のほの暗いホールで
半世紀前に自死した詩人の書簡や遺書を見た
自身の死亡通知用に
友人たちの宛名までしっかりと葉書に記してある
えらく幅広い 臙脂(えんじ)のネクタイを 若い友に贈っていて
「ちょっといいでしょう」
少しはにかんだような字が添えてある
詩人が訳した『ガリバー旅行記』の初版本も並んでいた

どうして こんなにも平静に
死へ向かっていってしまったのだろう
どうして 友の生をむしょうに望みながら
地に咲きあふれる花々を幻視しながら
ヒバリになるために 線路脇に身を横たえたのか

「原民喜なんて古い もうああいうのは卒業しなくては……」
えらそうに言った評論家がいて
口下手な私は反論一つしないでしまったが
(で 卒業してどこへ進んだというのですか)
そんな問いをおずおず今ごろ発してみる
詩人が逝ってしまってから
ちょうど五十年 長いような短いような

この日の同時刻
九人の韓国旧軍人・軍属の遺族が海を渡ってきて
ヤスクニ合祀・小泉首相のヤスクニ参拝に反対し
神社のなかを行進している
白いチマチョゴリが芙蓉の花のようだ
五十七歳の遺児の胸に掛けられた
民喜よりずっと若い「国民服」姿の若者の写真が
二十一世紀のニッポンを見ている

消え去っていった 透明なひとは
ほんとうにヒバリになったのだろうか
その声が聞こえないのは もう春ではないからなのか



◆広島での被爆体験を小説「夏の花」や詩「原爆小景」に表現した原民喜(1905.11.15〜1951.3.13)。その没後五十年といえば21世紀を迎えた2001年のことになる。

三月に生地広島で回顧展が開かれたほか、八月には東京・明大前のキッド・アイラック・アート・ホールで原民喜花幻忌会主催の「原民喜〈没後五十年〉展」が開かれた。(新・日本現代詩文庫『新編 原民喜詩集』(土曜美術社出版販売、2009年)の年譜による)

*2001年の春に首相になった小泉純一郎が靖国神社に参拝したのは同年8月13日のことだった。
以後、公式参拝は計六回にのぼり、批判・抗議の声が国内外から上がった。また違憲判断を求める裁判も相次いで提訴されたにもかかわらず、在任終期の2006年には、8月15日の敗戦の日に参拝を強行した。

◆「ヒバリになる」…年少の友人だった遠藤周作に、民喜は或る日、「ヒバリになっていつか空に行きます」と呟いたという。

祖田祐子宛の遺書*にも「とうとう僕は雲雀になつて消えて行きます」としたため、自作の詩「悲歌」を同封したという。

青空文庫で原民喜が親族・知友に宛てた遺書を読むことができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000293/files/4788_7030.html




| 次へ
検索
検索語句
最新コメント
マキシミリアナ・マリア・コルベ
コルベ神父のこと その2 (06/23)
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml