嵯峨信之「空へ消える」[2022年08月01日(Mon)]
クロスステッチのような蜘蛛の巣。
以前川べりで見かけたものよりさらに精緻に、我が家のイチイの枝に登場した。
作者は中央に。
堂々と誇らしげにさえ見えたが、一雨来て翌朝には跡形もなく消えていた。
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空へ消える 嵯峨信之
手でそつとぼくに触れてみた
ぼくは昨日ぼくと全く同じものだ
一つつきりだ
ぼくに加わつたものは今日のこの顔ばかりだ
かなしいときに
うれしいときに
一日を静かに通りぬけていくこの顔だけだ
しかしいま何も持つていないぼくがどんなにそれに堪えているか
だが時には真白い空をたぐりよせて
ひねもすぼくをそれに縫い合せて
それから空の中へひと羽搏きはばたいて消え去つてしまうことがある
『嵯峨信之詩集』(青土社、1985年)より
◆後連、鮮やかイメージを残して消えるさまが忘れ難い印象を残す。
「真白い空をたぐりよせて/ひねもすぼくをそれに縫い合せ」るいとなみが、黙々と、だがひたすらに生きることであり、やがてその仕上げとして、いずことも知れず姿を消してしまう。
結びの「〜ことがある」というさりげない述懐には、そう思えぬ日もまたしばしばあることが語られている。それでも糸をたぐりよせるように「生」を織りなして大きな大きな布となり、風をはらんで羽ばたく日が来る、と信じられること、それは思うに任せぬと思えた糸も織り込まれてできあがる「仕合わせ」というものなのだろう。