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池井昌樹「椿事」[2022年07月24日(Sun)]


椿事  池井昌樹


いつものえきのかいさつで
ばったりであったそのひとは
かたてをたかくさしあげて
なにかいったがきこえなかった
ぼくはあたまをふかくさげ
なにかいったがおもいだせない
でんしゃのなかでそのひとは
いまはもうないひとだったこと
めずらしいことでもなかったが
めずらしいことといったら
むかいのせきからてをあげて
ぼくをよぶあのこえのこと
おもわずぼくもてをあげて
なにかいおうとたちあがりかけ
それきりきえてしまったことだ
めずらしいことでもなかったが


『未知』(思潮社、2018年)より


◆ひょうひょうと「めずらしいことでもなかった」と言っているできごとは、二つ。
「いまはもうないひと」にばったりであったこと。
それと「ぼくをよぶあのこえ」に応えてたちあがりかけ、それきり「ぼく」が「きえてしまったこと」だ。

最初の方は「ぼく」は生者の側にいて、「そのひと」はもう亡くなっている(そのことに後で気づく)、というのだが、後の方は、「きえてしまう」のは「ぼく」のようだから、すると「ぼく」もまたもう亡くなっているのかも知れない。
あるいは「きえてしまった」というのは、死者の側に行きかけたのが、「あのこえ」に呼び戻されて、あちらの世界から消え、生者の側によみがえった、ということかも知れない。

生き返ったとすれば、まさにそれは「椿事」以外のなにものでもない。

だけどそれは「めずらしいこと」でもない。日々あっちへ行き、こっちに戻りと、風船の中に入れた魂みたいに彼我を往還して暮らしているようなものだから。だいたい、あっちとこっち、区別しする意味がどれだけあるというのだろう?



境節「あらわれる」[2022年07月24日(Sun)]


あらわれる  境節


いやみなく
すくっと立って そのひとは
わたしを待っていた
どこで はじめて出会ったか
思い出せないまま
とりとめのない話をしてわかれた
また会いたいようでもあり
このまま 記憶の中で ときおり
思い出すだけでもいい
光をあびて 色彩をのこして
その人は こちらを見ているから
大地に語りかけて
朝陽や 夕陽を眺める
生涯をすごすとは
どういうことか
少しわかってくる気持ち
大変な時代を
生きのびて
ここまで来たのだろうか
広いキャンバスに
自由に絵が描きたい
くり返しあらわれる呪文のような
模様が抽象となる
残酷な世相を
神話にして
茫然と生きてしまったか
凹凸をかかえて



境節詩集『十三さいの夏』(思潮社、2009年)より


◆上の詩集は友人であった画家への追悼の思いをこめた一冊に
なっている。
青春期に大学のスクーリングで出会ってから半世紀以上の交流。同じ時代を生きて来て説明は要らないと思える部分と、想像をはみ出す部分との両方が歳月の中に長い影を落としている。
友の姿を浮かび上がらせる残照は、わが身をも照らしていて、交叉する影同士がつくる角度の存在にも、いま、あらためて気づく。


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