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城侑「椅子の形」[2022年07月17日(Sun)]


椅子の形  城侑(じょう すすむ)


おれはさいきん
在るものと無いものの区別のつかないことがある
たしかにここに在るとおもって腰をおろすと
在ったはずの椅子がなくて
転倒することがあるのだ

しかし その程度なら
おれはいま見間違えていたのだなと
つぎのときから気をつければすむことなのだ
同じ椅子でも
おれはもっと混乱させる事実があるのだ
夢中で映画を見ているときに
手探りすると
腰掛けているはずの椅子が
消えてなくなっていたりするのだ

つまりおれの尻の下には
椅子の形の空間しかなく
いまにも転倒しそうなのだ
いそいで支配人を呼びつけ
どうしたのだとかれを責める
ところがかれも
自覚していただく以外にわれわれも責任をとれぬというのだ

ちかごろは
この種の事件がふえてきている
政府は社会秩序の崩壊を怖れて
新聞で発表するのを禁止している
だからおれも
いらいらして
映画館をでるより手がないのだ


『定本 城侑詩集』(青磁社、1988年)より


◆現にあるはずのものをスルーしたり、ことばのスリカエでゴマカしているうちに、存在する事実が疑わしくなり、ついには姿をかき消してしまっている――そんなことが続いている。

「さる宗教団体」しかり、民主主義しかり、基本的人権しかり……


◆今朝のNHK「日曜討論」、江川紹子氏が問題提起した「統一教会と政治家の繋がり」、司会者は言葉につまりながら、けっきょく流してしまった。

上の詩にあるように、「社会秩序の崩壊を怖れ」る政府と共同歩調をメディが取り続けるかぎり、私たちが安心して腰をおろせる椅子=「ふつうの暮らし」というものは消えてなくなっていく。

そうした事態が進行しているから、イライラが亢進していくのだ。

17日、福岡で中学生に切りつけた女性の事件も、そうした文脈で受けとめることが必要ではないか?
自分のための椅子が塀の中には在る、そう信じたがっていたのではないか?





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