友部正人「悲しみの紙」[2022年06月21日(Tue)]
◆友部正人『退屈は素敵』からもう一篇――
悲しみの紙 友部正人
おしゃべりな友だちの口から
こぼれ落ちた紙くずは
とてつもなく大きな
悲しみの紙だった
とてつもなく大きいのに
何も書いてない紙だった
何も書いてないのに
悲しみだけが読み取れた
どこにもしまうことのできない
大きな紙だった
通りを行く人たちに
悲しみだけが見えた
紙飛行機にして飛ばしたくても
折りたためる人はいなかった
広げたら二度とたためない
悲しみの紙だった
悲しみが紙になる前に
君のことが知りたかった
紙がまだ折りたためるうちに
君に会っておきたかった
飛行機雲のような悲しみが
どこまでもどこまでものびていく
時間がたってもなくならない
いつまでも消えない悲しみの紙
友部正人『退屈は素敵』(思潮社、2010年)より
◆一読、「悲しみ」←→「紙」という二語が同音二つを共有することから生まれた詩のように感じて、繰り返し読んでいた。「かみ」の真ん中に「なし」が挟まると「悲しみ」に変わる、ということでもある。「なし」を取ると「かみ」だけになる。
「紙」には「何も書いてない」。「なし」なのだから当然とも言えるけれど、そうした思いつきで遊んでいるわけでは無論ない。
◆「何も書いてない」のは無量の悲しみがここにあるからで、どんなに彼が「おしゃべり」だったとしても、すべてが語られるわけではない。あるいはふんだんな時間と幾千本の鉛筆があったとしてもサラサラ書けるようなものでもない。
ただただ存在することそのものが悲しみにほかならないのだから、その無量に目を見張り、見つめ続けることが、友として為し得ることじゃないだろうか?
★詩集『退屈は素敵』の前半には、曲のついた詩が多く収録されていて、「悲しみの紙」もその一つ。YouTubeに作者の歌うこの歌がアップされている。
聴くほどにじんわりしみわたる。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=ztpm9UA_vR0