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木村孝夫「お願い」[2022年06月09日(Thu)]


お願い   木村孝夫


夜には、手が何本もあるんだと聞きました
だから、指だって

手は、夢を揺すり
指は、呼吸を触診するのです

だから、夜の手が
夢を揺する時は目覚めて下さい

指が、呼吸を
頻繁に触診する時には返事して下さい

そのまま
さよならだけは絶対にしないで下さい

この世を去る時には
心が明るくなるものを少し身に着けて

贅沢ではありません
生きてきたご褒美だけはと思うのです

夜には、手が何本もあって
指だって、数えきれないほどあって

だから、油断する事なく
眠りに入る時、用心は忘れないで下さい

あの日から十年が過ぎましたが
これは小さなお願いです

心の中には、祈る手も置いて
今夜もこのお願いを抱いて眠るのです



木村孝夫詩集『十年鍋』(モノクローム・プロジェクト、2022年)より


◆東日本大震災後、『言霊』など震災詩集をまとめてきた詩人の、10年の節目に出た詩集。

◆夜は、みまかった人々と後に残された人とを繋ぐ回廊が水の中に開く時間なのだろう。
その回路に胎児のように浮かんでいるのは、眠りの中にいる自分。

そのかすかな寝息が、柔らかな夜の手と指に触れる。
夜の触手が無数にあるのは、回廊の向こうで、幾たりとも知れない人々が待っているからだ。

◆待たれている、と信じられる限りにおいて、人は安らかに「祈る」ことができる。
むろん、待たれていると思えぬまま、ひたすらに「祈る」ほかない人たちもいる。
目覚めている間に目に飛びこんでくる苦界の姿、あるいはそこに住している自分たち。
ならば、せいぜい十本のその手指を互いに結び合わせなければ。


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