〈毎朝 数千の天使を〉[2022年03月20日(Sun)]
「毎朝 数千の天使を殺してから」より
田村驤
8
そうか
数千の天使を殺さないと
大きな橋が見えてこないのか
真昼の世界と
影の世界を
つなぐ
大きな橋
『詩集1977〜1986』(河出書房新社、1988年)より
◆九節からなる詩の第8節。
◆数千の天使の顔が見える少年は、「毎朝 手が血で汚れているうちに」大きな橋のある河へと歩いて行く、と「おれ」に語る(第4節)。
「大きな橋のこちら側は/真昼のような世界」で、何もかも光っているのだという(第6節)。
◆「大きな橋のむこう側の世界」については、少年にかわって「おれ」が説明して言う。
そこは「事物も観念も影だけでできて」おり、「影は影を養分としながら放射線状に増殖する世界」だ。そこの「古代市場」には、あらゆる「肉という肉が肉屋の店頭に吊されているというのに/血はどこにも流れていない」(第7節)。
◆全体が寓喩のようなこの詩を読むうちに、「橋のむこう側」とは実は、戦場の映像をペラペラの液晶画面に映し出して見ている、TVのこちら側、我々の世界のことじゃないかと思えてくる。
数千の天使は、まいにち昼・夜の区別なく殺されているのだが、血が見えない、こちら側の世界に「おれ」は居て、その「おれ」の方が実は「影」にほかならないのでは……と。