
須賀敦子(もつことは)[2022年01月22日(Sat)]
◆須賀敦子詩集『主よ 一羽の鳩のために』から1959年6月25日の日付け、すなわち前回の「あゝ/とうとう」の2週間ほどのちに綴られた一篇――
(もつことは) 須賀敦子
もつことは
しばられることだと。
百千の網目をくぐりぬけ
やっと
ここまで
ひとりで あるいてきた私に。
もういちど
くりかへして
いひます。
あなたさへ
そばにゐて
くだされば。
もたぬことは
とびたつことだと。
(1959/6/25)
◆自分の所有物や係累、世俗的な価値をまとったもろもろのものを離れて自由になる――
生まれた土地を離れ、異国に暮らすことを選んだ人が最も願うことだ。
順婦満帆に行かないことは百も承知で。
◆「あなた」は詩集の題にある「主」を指すのだろう。
信仰は、それを「持つ/持たない」という述語をセットに案じているあいだは、まだ「なま学生(がくしょう)」のような半端者だ。
意識する必要がなくなった、「主」に直接語りかけるの対話、それは返答を欲しない、一方から放つ呟きのようなものかも知れないが。
「もたぬことは/とびたつこと」と自分自身にもういちど「言う」こと。「自由」にしてくれるのものが「言葉」であるからこそ、「言う」のだ。
そう言えば、「始めに言葉ありき」と聖書にも記されていた。