
焼き肉を食べる子ども[2022年01月19日(Wed)]
〈小学生以下=半額。幼児=無料。〉
◆夕方の街道で目に飛びこんできた焼き肉店の看板の文字だ。
家族連れを呼び込む惹句だけれど、さて「焼き肉を食べる幼児」というのがなかなか想像できなかった。
これまで家族で焼き肉を囲んだことはあるにしても、こうしたファミリーレストランではない。
◆我が子が保育園に通っていた頃、歩いて行ける距離に焼き肉屋さんがあって、老夫婦が切り盛りしているその店は、いつ行っても客はせいぜい一組か二組。
子供向けのメニューがあるわけでもないから、大人二人前を注文して子どもが食べやすそうなところを皿に分けてやる、という感じだったと思う。
◆1980年代の初め、ファミリー向け焼き肉レストランは見かけなかった。
いまや安い輸入業肉のおかげで、街道に車を走らせれば、焼き肉店の2つや3つはすぐ見つかる。
いま子どもが仮に小学生か就学前だったとして、さて「子ども無料」とか「幼児無料」という看板に引かれて店に入るかというと、やらない気がする。肉は高価なもの、というのが常識だった時間を長く生きていたせいのように思うが、それだけだろうか。
それらの肉を産した農場や生産者、この島国にはるばる運ばれて来る道筋が――つぶさに見たわけでもないのに――胃袋の上辺から鼻のあたりまで錯綜し縒り合わさって、食欲を減殺する感じなのだ。
同じような理由で、「スシ●ー」みたいな店にも入る気が起こらない。
TVで、大トロなんかがタワタワ揺れているスローモーションのコマーシャルを見て、旨いんだろうな、と思っても、足を運ぶ気はしない。
「何か違うよなア」という感じがどうしても拭えないのである。
(それでいて、一回味をしめると、際限なく通い詰める気がしなくもない。むしろ、そうなってしまうのが恐怖なのかも知れない。)
我らの世代よりさらに年上の家族はどんな夕餉の時間を生きて来たのだろうか。
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冬の眠り 三木卓
ラジオがだまった
まっくらな外を静かな雨が降りつづき
わたしは口をあけて しばらく眠った
遠くで灼けた鋼鉄が流れだす
冷えた土塊のかげで キリギリスが死ぬ
わたしより先に亡びていった人々は
砲撃をあびた夜の雲のように
火薬のにおいがし
歩くたびに銅貨が鳴った
わたしたちの おびただしい祖先で
愛や正義を口にしなかったものは少ない
だが 人のはじまりよりわたしたちは まだ
何も救ってはいない
わたしたちのこどもは幼いので
それを知らない そして鋭い犬歯で
獣肉をたやすく噛み裂いている
『わがキディ・ランド』(思潮社、1970年)所収。
『三木卓詩集 1957-1980』(れんが書房新社、1981年)に拠った。
◆「わたしたちは まだ/何も救ってはいない」という感じ方を、そう簡単に手放さない方が良いと思う。
仮に「それを知らない」で大きくなったとしたら、そこに想像力が働かないのはずいぶん恐ろしいことで、むしろ不幸だ、という気がする。