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嵯峨信之「永遠の目盛り」[2021年12月24日(Fri)]

◆どうにか年賀状を書き終えた。
年々書字が金釘流に退行していくのを我ながら情けなく思うが仕方ない。

◆小学校後半の3年間を受け持ったN先生は書家で、板書の文字も立派なものだった。
書道の時間は教卓で筆を手に自身の錬成に余念がなかった。

聞くところでは、同じ中学のKという音楽の先生にN先生が書道を教え、代わりにK先生はN先生にピアノを教えていたという。
交換指南というわけで、合理的で月謝の節約にもなると感心した記憶がある。

◆互いに持てる能力を恵与し合うというのは、相手への敬意をもって接するから可能なことだ、という点に思い至ったのはだいぶ後の話だ。書道にしろピアノにしろ、上達には長い時間が必要だし、長きにわたって互いの専門分野に深く敬意を払って教わり続けるというのは、教室の主として唯我独尊に陥りがちな教員には、実は結構難しい話だ。

*******


永遠の目盛り  嵯峨信之


たれも自分の生命の終わりについて知つていない
その計量できない全時間のなかで
ひとは遅すぎもせず早すぎもしない仕事をつづけている
村びとが熟れた麦の刈入れをいそぐのを眺めながら
あるものは大きな樹陰の道を歩いて行く
一つの生命は豊かな稔りを収穫し他の生命は何処ともなく道を急いでいる
すべて日常の殻の中にそつと這入りこむ
そしてまた何かの種子となつて四方に飛び散つて
つつましく匂やかに大地を富ましている
たれもがそれぞれの生命をふかめ熟れさせる
すべてが永遠なものの目盛りとなつて刻まれるのだ


 『嵯峨信之詩集』(青土社1985年)より

◆「何かの種子となつて四方に飛び散」り「大地を富ま」して生涯を全うするのなら、うらやましい最期というべきだ。
「生命をふかめ熟れさせる」のは個体としての営みだが、それが「永遠なもの」の目盛りとなって刻まれる。
わずか一刻みだけだ、ということを厳粛に受けとめそれに感謝を忘れぬこと――なりわいであれ趣味であれ、手もて何ごとをか為す者には、それが必要だ。


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