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嵯峨信之「遅刻者」[2021年12月23日(Thu)]

◆早寝すると夢を見ることが多いみたいだ。

登校中、忘れ物に気づいて家に引き返し、やれやれと学校に向かって間もなくまた別の忘れ物に気づき……という類いの夢は、さすがに見なくなった。
だが相変わらず、仕事がらみの夢は時々見る。
授業をしに教室に向かうのだが、迷路のような廊下や階段が続いていて、なかなか目差す教室にたどり着けない、というパターンのもの、定期テストが近いのに、未だ予定範囲を終えてない、これでは問題が作れない、と焦るもの、あるいはやはり学期末が近づいて、エンマ帖(教務手帳)やクラスの出席簿に記入漏れがボロボロあることに気づく……こうして並べると、どれもふだんの怠け癖に起因するものばかりで、寝ながら冷や汗をかいていることしばしばだ。

楽しい夢もないわけではない。文化祭の準備に奮闘している夢も結構見る。担任クラスの企画や部活(弦楽合奏やソフトボール)の練習などだ。お祭り好きな性分を反映している。

◆今朝の夢は少し違っていて、国語担当なのに、なぜか数学を教えよ、と数学UBの教科書が目の前にある夢だった。始業ベルがなるのに予習ができていない。トラの巻(指導書)も見あたらない。
ままよ、と教室に乗り込んだら、なぜか他の教員がもう授業を始めている。部屋を間違えたかと他の教室を覗いてみるが、どれもそれぞれ教員がいて授業を始めている。なんだこれは?と狐狸にだまされた気分のまま、目が覚めた。

*******

遅刻者  嵯峨信之


遅刻者である
何ごとにも
ぼく自身に到達したのもあまりに遅すぎた
ああ どうしたらいま自分にむかつて笑うことができるのか
川を越えてもさらにその向うに別の川が流れている
生きるとはついに終わることのない到達であろうか


『嵯峨信之詩集』
(青土社、1985年)より

◆この詩を読むと、夢であれうつつであれ、生きるということは、自分を𠮟咤したり鞭打ったりして絶えずどこかに向かってゆく気分がつきまとうもので、進めども進めども目的地に辿りついたという安堵を味わわせてはくれないもののようだ。
のどの渇きのような満たされない感じ、未達成のもどかしさが常にあって、それこそが生きていることの証拠、ということになるわけか。
業の深い生きものだ、人間というやつは……
――と、このところ散歩と食事以外は寝ていることの多いわが相棒は、果たして夢を見ているんだろうか、気になり、ソッと寝息をうかがってみた。


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