
嵯峨信之「空」[2021年12月21日(Tue)]

冷え込みが続いて、富士はだいぶ裾まで雪化粧を広げた。
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空 嵯峨信之
どんな小さな窓からも空は見える
どんな大きな窓からも空は見える
その二つの白い空は垂れさがつたおなじ一つの空だ
わたしはその空をひき下ろそうとしたが
空はどこまでもつづいてはてしがない
いつも
どこにいても
白い空はわたしを閉じこめている
一つの大きな心のように
しかし わたしになにか気にいつたことがあると
青いいきいきした小さな空が
わたしの心のなかの遠くに見える
その空はきつとわたしが生れた日の空だ
もしそうでなければ
その遠い空をながめていると
きゆうにこう眠くなるはずがない
『嵯峨信之詩集』(青土社、1985年)より
◆「わたしが生れた日の空だ」と確信をもって言えるのは、その日の空について繰り返し語ってくれる母や父がいたからに違いない。
英語のwelcomeは「望まれた訪れ」というのがもともとの意味だそうだけれど、そのように喜びをもってこの世に迎えられたのだと思えること以上の幸せはあるまい。
母が我が子を胸に最初に仰ぎ見た「小さな窓」の向こう、空は絵筆で彩られるのを待つもののように、白く広がっていたのだった。今も窓の外へと目を遣れば空は同じように広がっている。