
城侑「抗議」[2021年12月15日(Wed)]
じょうすすむ
抗議 城侑
木を盗んで山道をおりてきたら
おれをさして
泥棒! と
おまえはいった
だからおれは泥棒だが
おまえはなんだ
おまえの山の頂上から
立木を切って小さい町までおれは運んだ
枝葉をつけたままにして
ひきずりおろしたのもある
おれはたいてい短く切って束ねて運んだ
そしていま泥棒になったわけだ
ところでおまえは
なんであると証しできる
このおれが
薪を担いで降りてくるのを
山の途中で待ち伏せていて
おれの顔が見えたとき
泥棒! と叫んで
近づいてきただけのことじゃないか
それ以上になにをしたのだ
おれにたいして
なんといってお前は名乗る
さあ おおきな声でいってもらおう
おれにむかって
泥棒! といったふうに
おまえ自身を
嶋岡晨=編『詩国八十八ヵ所巡り』(洪水企画・燈台ライブラリ3、2017年)より
◆さまざまに読むことのできる寓意詩。
山の所有者である「おまえ」と「おれ」は、地主と無産者という関係になる。
「山の立木」を間に挟めばその持ち主と盗んだ者。
だが、「行動」に焦点を当てれば、一方は歴とした「行動する者」であるのに、他方は「無為の人」に過ぎない。
「呼ばわられた者」がそれを引き受けて「泥棒」を自認した今、「ところでおまえは/なんである」のか? と問われた地主は凍りついただろう。その足もとが揺らぎ崩れ去る感覚すら味わったであろう。
「おれ」は、単に開き直ったというより、「おまえ」に問いを突きつけたことで優位に立ったといえる。